石丸元章 / KAMIKAZE 神風(飛鳥新社)



主に九州を舞台に(かつて彼の地には特攻基地が数多くあったようだ)繰り広げられる
ロードムービーなノンフィクション。


まあ、「ノンフィクション」っていう、その、なんての、欺瞞ね(苦笑)。あるよね。
『東電OL殺人事件』とかね。あれは、ひどいですよ、正直。力作ではあると思うけど、ひどいね。


純文学であれ中間小説であれノンフィクションであれ現代詩であれ、そんなジャンルはどうでもいい。
作品は、ベクトルがこう、良い方向へ向かっていれば、ぼくはいいと思うんです。
で、「良い方向」ってのはきわめて抽象的な話になるわけですねえ。ちゅうわけで、
何が「良いか」という話はしないわけだけれども。「良い」というか、「好き」の問題ですから。


この作者は軽薄なスタイルで自分を語るという、その点においては実に真摯なわけで、
そういった意味では、彼は彼の軽薄さに対して実にノンフィクションだと言えるような気がしないでもない。
自称ジャンキーと謳って韜晦しているようにも読めるけど。ただ、良くも悪くも軽いわけで、あっという間だ。
この軽さは、ちょと微妙。「いい加減」ってグルーヴが彼の通奏低音であれば、
とも思うのだけれど、『SPEED』を読んでいない以上、「いい加減」とかなんとかいうのも野暮だ。
ちなみに先日読んだ、『平壌ハイ』はよい小説でした。あれはね、北朝鮮の遠さ、
というのもあるのかな。神風特別攻撃隊と、北朝鮮、ぼくらにとってはどちらが遠いのかな。
「遠さ」を果たして同じ俎上で比較できるのか、という疑問ももちろんあるわけだけど。


最後の元特攻隊員のエピソードは、いい。この話はいい。
軽薄さ、ということを押し出さざるを得ない作風ってのは、ジャンキーだろうと、
なんだろうと、一定の知性を感じさせるわけであって、まあ、ポストモダンな感じも
しなくはないわけです。


この、自分自身に対してノンフィクションな姿勢ってのは、どうも、なんというか、
私小説って感じがするので、このひとは小説なんかを書いてみたらよいかもしれん。
彼のノンフィクションな姿勢ってのは、フィクションの中でより鮮明になるような気がする。
巻末の参考文献も多くて、ずいぶん勉強したみたいだけど、うーん、中途半端ですね。
ひょっとすると彼の私小説は、『SPEED』で読めるのかもしれないな。読んでみよう。