久世光彦 / 一九三四年冬−乱歩 (新潮文庫)



文庫裏表紙の紹介文。



昭和九年冬、江戸川乱歩はスランプに陥り、麻布の<張ホテル>に身を隠した。時に乱歩四十歳。滞在中の探偵小説マニアの人妻や、謎めいた美貌の中国人青年に心乱されながらも、乱歩はこの世のものとは思えぬエロティシズムにあふれた短編「梔子姫」を書き始めた―。乱歩以上に乱歩らしく濃密で怪しい作中作を織り込み、昭和初期の時代の匂いをリアルに描いた山本周五郎賞受賞作。


乱歩が全篇を通じやたらとその陰茎を勃起させている(ホントヨ)。昭和九年に、乱歩が麻布区箪笥町に実在した張ホテルに滞在したというのは事実であり、そこから久世がその想像力を広げてあやしい世界を描いた。


久世が造形した俗物な作家としての乱歩の姿は描写が細かくなかなか楽しいが、小説内小説としての「梔子姫」は意外と退屈な話であり(乱歩の作品として書かれているのだが、久世の文体は乱歩を意識しつつも、後半になるにつれて千鳥足になる。試みとしては評価できるが、小説内小説としての完成度は高くない。端的に言って、冗長である)、そのエロ描写も久世の色が濃く、行きそうで行かない乱歩のエロではなく、行ってしまうエロである。これは作品が読まれる現代においては、仕方がないのかもしれないが、エロ(性行為)への比重が大き過ぎて、わたしにとっては感興を損なう一因となった。久世の乱歩へのオマージュとしては理解できるが、乱歩作品の雰囲気を嗅ぎたいという人にはお勧めできない。乱歩のエロはもっと醒めている。


瑣末な点だが、作中での「中国」「支那」という表記の混在が気になった。「昭和九年」という舞台設定の現実味を増すためにも、「支那」という表記に統一すべきである。この怪しい小説においては政治的配慮よりもむしろ、その物語の雰囲気を重視すべきだ。エロへの比重の大きさと、「中国」「支那」表記の混在が残念であった。


評価:★★★☆☆