高橋哲哉 / 靖国問題 (ちくま新書)



 本書の要旨ともいえる部分が、まとめられているので、以下に引用する。



 靖国問題の解決は、次のような方向で図られるべきである。


一、政教分離を徹底することによって、「国家機関」としての靖国神社を名実ともに廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。


一、靖国神社の信教の自由を保障するのは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。それぞれの仕方で追悼したいという遺族の権利を、自らの信教の自由の名の下に侵害されることは許されない。


 この二点が本当に実現すれば、靖国神社は、そこに祀られたいと遺族が望む戦死者だけを祀る一宗教法人として存続することになるだろう。
 そのうえで、


一、近代日本のすべての対外戦争を正戦(ママ)であったと考える得意な歴史観遊就館の展示がそれを表現している)は自由な言論によって克服されるべきである。  


一、「第二の靖国」の出現を防ぐには、憲法の「不戦の誓い」を担保する脱軍事化に向けた不断の努力が必要である。


高橋哲哉靖国問題』235ページ


 靖国神社の鳥居を一度、道路を走る車の窓から目にしたことがあるが、夕暮れ時で、その異様な大きさに、不穏な空気を感じたのを思い出す。あの不自然な大きさは「いかにも権力〜♪」という塩梅だった。


 本書では「靖国神社」がいかに政治/国家の権力装置としてドライブされているか、ということが、実に明晰な論理と平易な文体で語られている。国家神道が「超宗教」であり、先の大戦の時分には、キリスト教、仏教の指導者もそれぞれの信者である以前に「日本人」の「道」としての「神道」に従ったということを知ることが出来て、たいへん興味深かった。国家宗教としての「神道」が他の宗教も吸収合一無化してしまった、という言説の信憑はいかほどのものだろうか。


 一読して漠然と感じたことは、「靖国問題は(おそらく)解決されないだろう」ということである。残念ではあるが、「靖国神社」を通して、国家の権力意識が垣間見えて刺激的だった。