菊地成孔とペペ・トルメント・アズカルール@有楽町朝日ホール



 『南米のエリザベス・テーラー』最終公演。会場の朝日ホールは、前回の公演会場:九段会館昭和9年竣工)と対照的に、きわめて現代的な面持ちのホールであり、有楽町西武百貨店の11階に位置する。
 菊地成孔が以前、九段会館が帯びるアウラについて自身の日記でずいぶんと語っていたのを思い出すが、今回のキクペペのホールコンサートシリーズを通じて、「場」そして「建物」のもつ雰囲気が、音楽にいかに影響を与えるか、ということを肌身を以って感じられたので、なかなか興味深い体験となった。ひとつのグループの生演奏を、続けて何度も鑑賞するおもしろさというのも、このホールコンサートを通して知ることが出来たと思う。


 ところで数ある演目のうち、ウェイン・ショーター作のアーバンな音楽が心地よく響いていた。ので、「ホールは、おそらく80年代に建てられたのであろう」と思って、後日ウィキペディアで調べたら、朝日ホールは、昭和59年オープンであった。西暦で云えば、1984年。ナウなヤングはみんなトンガってて、ニューウェーブな時代に生を享けた建物なのだ(たぶん)。つまり、朝日ホールは、愚妹(昭和58年生まれ)よりも若い建物だったのだ。終演後「ああ、実に、なんというかクロスオーバー/フュージョンで、なんとなくアーベインでエロティックTOKIOナイトなキクペペの調べになっていたなあ」と思っていたので、建物の歴史に己が感想を裏打ちされた塩梅である。公演タイトルが『夜の全裸』だったが、残念ながら、そのフレーズが想起させる凄みと濃厚さを併せ持つエロエロ音楽ではなかった。


 強く感じたのは、ホールがもつ音響の志向性、そしてPAの腕前が、ほんとうに音楽を生かしも殺しもするのだ、ということ。今回のホールでは、高音部が放っぽらかされて、バンドネオンがキンキンした音色ですっかり艶を失っていたり、ピアノもいつもより安っぽい響きで残念だった。全体的にクリアすぎた。クリアすぎると、エロスを失うのだ。クリア過ぎるサウンドがもたらす、中途半端にアーベインでエロティックで猥褻な雰囲気もつまらなくはないが、音楽の充実には欠けてしまう。
 九段会館は、座席が狭くてアンカンファタボーだったが、音楽があやしのエロスに満ちていた。よほど色気があった。前回同様、菊地さんのアンブシュアがいつもより浅めで、リードミスが何度かあった。しかし、そういうささいなところではなくて、「音楽がだいぶ違うなあ」と思ったのだ。「5〜60年音楽が違っているんじゃなかろうか」と思ったら、それは建物が風雨に打たれた年月の差に因するものだった(それだけじゃないけど)。そんなふうに、観客に働きかけるちからも「場」そして「建物」にはあるのだろう。


 今回は前述のショーター作「プラザ・レアル」、ミシェル・ルグラン作「はなればなれに」、ビリー・ストレイホーン作「チェルシー・ブリッジ」や、弦楽編曲担当中島ノブユキ氏のオリジナル曲などカバー曲が演奏され、公演全体が、アルバム『南米のエリザベス・テーラー』から歩を進めた調子になっていたが、アンコールで細野晴臣の傑作『はらいそ』から「ファム・ファタール」が力強く、アフリカンなリズムに乗って演奏された時には、「ああ、何かつながった」と思いつつ、驚きと納得を隠せなかった。日本における洗練された妄想的ポップ音楽の系譜に、菊地成孔が接続されたような気がした。キクペペのセカンドアルバムに同曲は収録されるそうである。


 ここまで述べてきた感想はじつにグダグダであって、『南米のエリザベス・テーラー』を聴いていない方も、『南米のエリザベス・テーラー』公演に足を運んでいない方も、今秋にリリースされる予定のキクペペのセカンドアルバムはぜひおすすめです。ということが云いたいのであります。