小沢健二 / 刹那

刹那


 小沢健二の作品を一番最初に(楽曲として)聴いたのは、1997年のことで、さすがにその前から(スチャダラパーと一緒にリリースした)「今夜はブギーバック」は(断片的に聞いて)知っていたが、興味が無かった。
 わたしの中学入学は1993年(平成5年)。当時、同級生にいたとても太った女の子(名前を思い出せない)に、ある日の放課後「(まだ売れてないけど)ミスター・チルドレンと(解散してしまった)フリッパーズ・ギターが良いのだ」と教えてもらったが、当時わたしはチャゲアスが好きだったので、「ミスター・チルドレンとは、ずいぶんおかしな名前をつけるんだな。純粋な大人とでもいうような意味なのだろうか」という感慨が深く、その時のことは良く覚えている(翌年「イノセント・ワールド」が、街のそこかしこで有線を通して鳴り響くようになると、わたしは毎日家に帰ってハリー細野&イエロー・マジック・バンド『はらいそ(PARAISO)』を聴いていた)。


 小沢健二の『LIFE』を聴いたのは、発売から4年後、1998年のことである。前の年から付き合い始めた同級生の女の子に教えてもらったのだ。彼女は当時、山崎まさよしもわたしに教えてくれた。ファンキーな楽曲に、一風変わった日本語の歌詞が乗っている、というのがうれしくて、わたしのアイドルはスガシカオ(姓名の間の半角スペースが付く前で、彼のやっていた深夜のラジオがとてもおもしろかった記憶がある・どのようにおもしろかったのかはまったく記憶が無い)だったのだが、スガシカオはまだセカンドアルバム『FAMILY』をリリースしたばかりだったから、山崎まさよし小沢健二のシングルをレンタル屋でごっそり借りてきて、即日返却しにいくようなことを良くやっていた。「Buddy / 恋しくて」「指さえも・ダイスを転がせ」「ある光」「春にして君を想う」あたりのシングルは、レンタル屋から借りてきて、テープに録音して繰り返し繰り返し聴いたものである。繰り返し繰り返し聴いたわりに、当時わたしはカラオケにほとんど行かなかったので、歌詞はいまだにうろ覚えのままだし、メロディもところどころ抜け落ちている。


 筒美京平が作曲した「強い気持ち・強い愛」「それはちょっと」にかんしては、だいぶまともに歌えるな、とこのアルバム未収録曲集を聴いて思った。「さよならなんて云えないよ」の軽快な調べはすばらしい(『LIFE』の余波とでもいえそうな、躁的な多幸感があふれる楽曲だ)。「痛快ウキウキ通り」では、すこし躁的な多幸感に陰りが差しているような気がする。
 わたしにとっては小沢健二は常に後追いしたポップソングメーカーで、『刹那』を聴いても、クオリティの高いポップソングが詰まっているな、そういや高校時代に知ったんだったな、という感慨しかないのだけれど、リアルタイムで彼に熱狂したひとたちは、この追補版についていったいどういう感慨を抱くのだろう。少し興味がある。