City,Country,City@恵比寿エンジョイハウス

 「City,Country,City」へ遊びに行くのは、半年振りくらい。もとまりさんのかけてらした「プライヴェート・ソウル・ショー」(いとうせいこう、92年のソロアルバムから)が、物凄く奇妙な感じでよかった。ユリオカ超特Qの「HAGE=RAP」もとてもよかった。レギュラーDJ陣のKON=FUNKさんが、Ann Peebles(Straight From The Heart)をかけてらしたのが、印象的だった。初対面の人と挨拶したり話しこんだりしているうちに、(ワイン1杯、ビール2杯で)酔っ払って眠くなってしまってクローズ直前に失礼した。




 ところでこのDJイベントのタイトルにもなっている「City, Country, City」はWarというグループの『世界は監獄である(World Is a Ghetto)』というアルバムに収録されている。『世界は監獄である』というテーゼ。ああ、これっていわゆる「渋谷系」音楽が「憂鬱な」90年代に有していた「気分」なんじゃないだろうか、とふと思った。一番それをはっきりと音楽で表現していたのがピチカート・ファイブだろう。こういうことを、むかしのえらいひとも言っている。

 わたしはひとに何か助言するのが得意でない。自分の事さえ知らないのに、どうこうしてみろと言える訳がない。私は自分についてさえ、ほとんど分からない。他人については推測できるだけだ。わたしたちはみな監獄に閉じ込められた囚人のようなものだ。


サマセット・モーム『The Happy Man』より、拙訳

 音楽が「言葉」という「檻」からリスナーを解放する側面があるということを言えなくはない。純朴に音楽のパワーを信じられるわけではないけれど、音楽は聞き手を巻き込んでいくものだから。巻き込まれることで解放される。「言葉」のほかに「檻」はあるだろうか。あるだろうな。「音楽」が「音楽」にたいする「檻」になるというケースだって十分あるに違いない。


 『世界は監獄である』というテーゼじたいは、監獄=Ghettoであるからして、欧州におけるユダヤ人居住区(ローマの時代から第二次大戦まで)〜米国における黒人居住区という歴史性の上にある。
 そういった歴史を抜きにすると、「生きているといろいろしんどいよね」という文明国の労働者レベルから、いつ爆弾が降ってくるかわからないので(身の安全が保てるか不安で)憂鬱というレベルまでいろいろと『世界は監獄である』。普遍的に『世界は監獄である』。「戦場」にいる人は、「憂鬱」になっている暇なんてないんだろうけど...。音楽が鳴っているときだけが、最高にグルーヴィーでハッピーでピースフルなのだ、というテーゼと、『世界は監獄である』という世界観は、一枚のコインの表裏なのではないかと、改めて思ったしだい。
 しかし、これは考えれば考えるほど、ずぶずぶと沈みこんでいきそうな話である。