美しい国



 久しぶりに雑文を少々。リベラル風味なので、そこんとこよろしく。わたしの政治的立場はこの文章そのままではない。

 
 安倍総理に個人的な愛憎は無いのだが「美しい国」というスローガンを聞いたときに「この人、やばいかもなあ」と思った。「構造改革」の方がまだましだろう。政治家が己の美学を語り出したりしたら、ろくなことはないような気がする。この直感はたぶん一時期アドルフ・ヒトラーに興味を持った時にいろいろ本を読み漁って感じたことがあるのかもしれない。


 「美しい」が「ファシズム」につながるだなんて短絡的と思う人もいるかもしれないがそんな主観的な価値判断にもとづいて政治をやられたら、困るのは民草である。「美しい」なんていう極めて抽象的な修辞をスローガンにするセンスはまずいと思った。政治を芸術にしようと思うなら、プロパガンダして、親衛隊に制服着させて行進だよ。そこまで安倍総理は思っていないだろう、というソフトでジェントルなパブリックイメージがあるかもしれないが、それがこわいのだ。


 NHKスペシャルのような番組でナチス・ドイツの映像を見て「美しい」と感じたことがある人は少なくないだろう。そして、「美しい」と感じたことになんとなく後ろめたさを覚えるのは、ヒトラーが為した諸々の所行が「悪」と見做されているからだ。このことからも分かる様に「美」には「善/悪」という二項対立を超えていく特徴があって「利害の調整役」の頭であるところの総理大臣が「利害の調整なんてだるいし、もっとキャッチーなフレーズ無い?こう、民草にもグッとくるやつ」などと秘書を通して広告代理店に相談しているようなら薄気味悪いだけで、まだ良いのだか、安倍総理が素面で「美しい国、日本にしなければならない」と決心しているのであれば憂鬱なことである。駄弁を重ねたが、「美しい」を政治に持ち込んだら、ろくなことにならないんじゃないのというお話。