菊地成孔ダブ・セクステット@鶯谷・東京キネマ倶楽部



グループのアルバム『The Revolution Will Not Be Computerized』(革命は電算処理されない、というその音楽に対するイロニーなのかそうでないのか良く分からないタイトル)は、菊地ソロ作品『Degustation A Jazz』(ジヤズ味見帳)方式で作られた。これは、各楽器のパートをプレイヤーそれぞれが録音して(メロディ楽器についてはガイドのリズムがあったり、最低限の指示はあるのだろう)、それらをコンピュータで編集して楽曲を完成させるやり方で作られたジャズということだ。この菊地言うところの‘ポストモダンジャズ’は、聴感上はアンサンブルしているが、じつは誰ひとりアンサンブルしないで音楽が録音され、編集で作られた合奏が作品として提示されているわけで、これをいったいどうやって生演奏で料理するかというのが、かなり注目されていたことが間違いない雨の夜だった。


類家心平(トランペット)!かれはまだ弱冠31、2歳なのだ。ディジー・ガレスピーかヒノテルかといった具合に両の頬を膨らませて、冬眠前のシマリスのようなかわいらしさを保ちつつ、超絶技巧かつフレッシュでスカッとさわやか&たいへんロングなトランペット・ソロの嵐である。もうあまりに良すぎてわたしは眠くなって立ち見だったので、ふらついてしまった。彼のもうれつなステージの脇で菊地さんが爆笑しつつ乗せられて、類家さんと交替するといつもにない勢いでソロを吹いていたが、類家さんのまるで新鮮野菜みたいな魅力に軍配が上がった。これはもう仕方ないんである。取り立て現地直送という感じだし、経験的に菊地ソロのクリシェには飽きかけているから、比較するとどうしたって類家ソロが新鮮に印象づけられるのである。


類家さんと比べると菊地さんはどうみてもクレバーな中年であり、いよいよ若隠居をもくろんで若手プレゼン活動に入ったのかもしれないとしばし愚考する。デートコースペンタゴンロイヤルガーデンで、聴衆をポリリズムに馴して、クインテット・ライブダブで前哨戦、そして本格新鮮ポストモダンジャズのダブ・セクステットで、誰も彼も踊らせようと周到に準備したのではないのかと深読みしてみたり、何も考えずにぼんやりして音にからだをゆだねていた。そう、ドラムスの本田珠也(たまや)39歳も恐ろしいほどのテクニシャンで、どうやって叩いているのかよく分からないスピードと色気と詩心を兼ね備えているものだから呆れ返ってしまった。力強く、生物の成長や、化学変化や、資本主義など常に運動するさまざまな物事を連想させる音楽だった。ダブ・セクステットの演奏を通じて、クインテット・ライブダブが実験のプロセスとして機能していたことも得心された。今後の活動がじつに楽しみである。