本田透 / なぜケータイ小説は売れるのか(ソフトバンク新書)

なぜケータイ小説は売れるのか (ソフトバンク新書)


誰もがニヒリズムに陥りやすい高度資本制下で、ケータイを手にしたリテラシの低い若者達が、じぶんの過去を再編集する=自分語ることによって自身を救済する装置がケータイ小説の本質であり、ルソーの言う「万人司祭」の具現化がケータイ小説によって起こっているという分析はかなり説得力があるし、本来の文学は制度(システム)の外から顕れるものであり、支配的宗教のない我が国におけるケータイ小説は大衆芸能や説話物語として機能しているが、誰も予期せぬ、読書家や批評家が必ず拒絶するであろう発明がケータイ小説界から生まれるかもしれないとするのは、筆者の知性と想像力の深さが良く分かる。本業のラノベ作家としての立場から、ラノベ読者とケータイ小説読者を比べると、後者がより悲惨だが、幸福かもしれないと結論する部分は少々強引な気がした。あとがきは冗長で、疲れているので、生々しいがもうちょっと取り繕ってもよい。