ドールズ/ロイヤル・テネンバウムズ



毎月1日は、映画の日。一本1000円で観れるのです。という訳で、
近所のシネマ・コンプレックスに行ってきました。2本観ました。


まずは1時15分から北野武監督の「Dolls」。ひとことで言えば、
ポエティックというか、抽象性が、いつになく高い作品です。
たとえば、「HANA-BI」や「BROTHER」なんかでの分かりやすい
暴力性、というのは、ほとんど無い。安易な映像的カタルシス
ずいぶんと排除されてます。むろん相変わらず登場人物の多くは
死んでいくわけですが、今回はあまりにもストーリの絡み方が
何を意図しているのか読み取れない(それが意図しているところ
なのかもしれないけど)。詳しく書いちゃうとアレですが、深田
恭子が出てくる理由も良くわからない(小西さんの「キミノヒトミニ
コイシテル」は嫌いじゃないですが)。とどのつまり武は「死への
憧憬」だけを描きたいんじゃないか、と思いさえしました。もう
描きたいことが、純粋に「死」に集束していって、他の要素は
どうでも良くなってるんじゃないか、と。ただ、その興味が移りつつ
あるプロセスがトレースされたような内容に思えたので、これを
さらに煮詰めた、というか、どうせならさらに抽象性の高い、眠たく
なるように美しい作品を観たいです。悪く言えば、今作は、物語性と
抽象性の間で宙ぶらりんになっている作品、という気がしました。
もしかすると制作中に「死」について肉迫し過ぎてしまうことの恐怖
というのが、監督自身、あったのかもしれません。まあ、しろうと
評論はここらへんにしてきます。ホント、何もわからないくせに何か
わかってるようなことを書くのは恥ずかしいです。でも書くんだけど。


続けて、3時45分からチェス・アンダーソン監督の「ロイヤル・テネン
バウムズ」。冒頭部分で、ロイヤル・テネンバウムズのマンションを
下からナメるシーンがあるのですが、そこでかかってるのが、インストで
バロックっぽいトランペットが印象的なアレンジのポール・マッカー
トニーの「Hey, Jude」…。これにはヤられました。「Dolls」と比べると、
映画における音楽の居心地がすごく良いのです。で、ストーリーは、と
いうと、これが偶然にも今日観た2本に共通しているのですが、抽象的。
具体的なストーリーはあるのだけれど、それが何を意味するかと言うことは
深く語られず、観客の前に投げ出されたままになって、ストーリー全体の
寓話性が増す構造、というか。幻想の本義を貫いている、とかいうと
ちょっとしゃちほこばった表現になってしまいますが、今日観た2本に
共通して確かに言えることは、とてもファンタスティック(狭義)な作品
である、ということ。ストレンジ・アンド・カインド・オブ・ワンダフル
というかね。でも非常に今日の気分に合っていて、2本観終えた後は
ニヤニヤしてしまいました。って、「ロイヤル・テネンバウムズ」の話ですけど、
テネンバウムズ家の長女マーゴ(Margot)を演じたギネス・パルトォロワが
ヒット!ガーン!…急に下世話になる…キスシーンの横顔がキレイだなあ(呆)。
小生、ああいう絵に描いたような才あるカインド・オブ・ビッチな女性キャラに
弱いことが判明(苦笑)。ちょっとハスッパというか、気が強い感じが
いいんですね。で、彼女は次男の…おっとネタバレしてしまう…ぶつぶつぶつ、
要はあの黄色いテントの中で、マーゴがかけたLPが何であるのか知りたいの
です。ジャケは薄ぼんやりとしか映ってなかったし。識者各位のご鞭撻求む。


というわけで、今日は映画の日でした。まとまりないけど、こんな感じです。