荒俣宏『パラノイア創造史』(筑摩書房)読了



オカルトな人物を題材に、精神分析や科学的論証を用いつつ狂気と創造力の関係を読み解いていく1冊。
というとなにやらあやしげでうさんくさいですが、筆者は、オカルトに関して絶大な愛があるけれど
盲信しているわけではないようなのでとくに気にせず読めます。カバラ占星術だ魔術だと縦横無尽な
博覧強記ぶりを発揮。最近のシンプルで力強くもある氏の文体に比べると若さを感じさせるフレッシュで
ちょっぴりペダンチックな文体が微笑ましいです。荒俣宏って固めのひとりと学会だったのかな(笑)。
と学会よりはずいぶん品がありますが…。


とくに心を惹かれたのは、交流電流を発見したニコラ・テスラと、異常な記憶力と「共感覚」の持ち主、
エス・ヴェー・シェレシェフスキー、そして「ニ笑亭」主人、赤木城吉のエピソード。明治時代の
日本精神医学界の様子が垣間見れたり、精神分析に対する荒俣の批評的な視点も伺えて、1冊でなかなか
楽しめます。そして今ある科学をはじめ種種雑多な学問の成立も、さまざまな物語を抱えて成立に
至ったのだなーと分かります。昔、科学は錬金術からうまれただとか、コペルニクスの地動説の話を
なんとなく思い出したりしました。時の権威と学問の発達の関係とか、そういうものを時系列で
追っていくとなかなか面白そうです。きっと廃れてしまった学問も沢山あるのだろうな。


読んでいると「モナド」やら「マーキュリー」やら「エーテル」やらどこかで聞き覚えのある単語が
次々出てくるので巻末を見てみたら、'85年に出版された本でした。ニューアカブームは終わってたのかも
しれないけど、オウムに至ったオカルトブームというのはこのへんの時期からはじまったのかな、と
思ったり。そういやぼくも荒俣宏はずっと『帝都物語』のオカルトのひとだなーと思っていたことを
思い出しました(水木しげるのまんがはずっと好きだったのに、いわゆるオカルトってなぜか食指が
伸びませんでした。『悪魔くん』はわりとわかりやすくオカルトなんだよね)。あと、もちろん
ぼくの好きな細野晴臣がちょうどこの頃ノンスタンダードやモナドといったレーベルで感覚的な要素を
全面に出した音楽を発表していたことも思い出しました。音に対して深く入り込むと「音の神秘」という
世界に入り込んでしまい(それはなにも音に限らないと思いますが)「意識の変成」や「忘我」に
ついて興味をもつのは、ごく自然のことのように思います。「音を信じる」とかいうと、「オカルト!」
って言われちゃったりするのかな(笑)。まあ、そういうわけでいろいろと頭の中で寄り道しながら
読んでいたら読み終えるのにずいぶん時間がかかってしまいました。でも、非常に読み応えがあって
楽しかったです。そうそう、欧州の神秘主義に東洋思想が影響を与えているっていう話も面白かったな。


蛇足。気軽にオカルトオカルト言ってますが、「オカルト」というのは「神秘的事象」という
定義だそうです(新明解国語辞典第2版による)。そうだったのか。ぼくはわりに「神秘」が
好きなのかも。神秘主義者ではないけど(笑)。あと、「神秘」ってことばは、わりと
消費されちゃった感がありますね。「カリスマ」みたいに。ことばにまつわるイメージってのも
いろいろ変遷していってるだろうし、そこらへんについて書いたおもしろそうな本ないかしらん。
単純なんで、荒俣宏の本を読むと、ずいぶん影響されていろんな分野の本が読みたくなります。