2004年12月16日の日記へのコメントへの返事



では、まずタテイシさんから頂いたコメントへお返事いたします。「正しい」と「美しい」についても述べたいことがないわけではないけれど、
とりあえず、昨日の小谷野敦『評論家入門』における「論争などで負った精神的苦痛を和らげる方法として」の投薬の是非、についての話を。



う〜んでもやっぱ薬を「用いるといい」って書くのは不用意だと思うよぉ。
「僕は用いている」とか書くならいいんだけどさ。アメリカで常用されてるからなんなのさとも思うし。
「用いるといい」って書くと「あぁいいんだぁ」って思う人もいるかもしれないじゃない。


(薬を)「用いるといい」って書いてたものを読んで、「あぁいいんだぁ」と思う人もいるかもしれないけれど、
そこまで筆者は自分の文言に責任を負わなければいけないのかという疑問がまずあります。昨日の日記でも書いたように
「言うまでも無く読者の読解能力も試される」のであって、それを読んで信じるか信じないかは読者に委ねられているわけです。


それにタテイシさんが先日の日記で書いているように筆者は「論争などで負った精神的苦痛を和らげる方法として」の投薬を
勧めているのであって、繰り返しになりますが、「読者一般に服薬を薦めているわけではない」のです。この点にかんしては、
なにかタテイシさんには薬に限らず、物事に「依存」することについて強い抵抗感があるんではないだろうか、と穿った見方を
してしまいます。わたしは何かに「依存」することそのものを否定しないのです。日々「活字」や「音楽」や「映画」に
「依存」して暮らしていて、それはわたしにとっては、正直「薬」と変わらないのです。むろん、脳の化学物質を直接的に左右する
薬物への「依存」は、わたしの言う「依存」とはその段階・程度が異なる、という批判もあるかもしれませんが、すると、ではひとは
何かに「依存」せず生きることが果たして出来るのか、という根本的かつ大仰な問いにまで至ってしまうので、このへんで終えておきます。




続いて、いしたに(id:masakiishitani)さんとマコト(id:mktz128)氏から頂いたコメントへお返事いたします。



投薬して、まともに仕事している人は、ちゃんと薬のことをわかっているわけですから問題なしです。
足を捻挫すると、杖が必要な様に無駄に苦しむのであれば、投薬は杖と同じレベルで使いものになります。



精神安定剤抗鬱剤睡眠導入剤すべてを日常的に用いている者としてはこの議論は複雑です。それらなしでは日常生活を送ることに
不安を覚える、という点では依存しているとも言えるでしょう。それで苦しんでいるわけではありませんが。
精神科(およびそれに順ずる診療科)に通院している者は、周りに思い悩んでいる友人、知人を見ると「病院に行ってみたら?」と
提案するのは経験上、ないし伝聞上よくある傾向のようです。僕自身もウツボ君に通院を勧めたことは一度や二度ではなかったです
(だよねたしか)。


肝心の小谷野氏の著作を読んでいないので前後の文脈がわからないのですけど、社会生活を営むのに支障をきたすくらい思い悩むことの
ある人には、僕は「薬を用いるといい」と言ってしまいそうです。確かにそれは効果があるからです。アメリカ云々というのはそこだけ
読んでも何言ってんだコイツって感じです(確かにアメリカではメラトニンがビタミンサプリ同様に店頭で売られていると聞いたことは
ありますが)精神科通いがカジュアルになってくれればいい、っていうこのスタンス。小谷野氏もそうなんでしょうけども確かに
穏やかじゃないですね。


いしたにさんのコメントは昨日の日記を見ればわかるとおり、タテイシさんの薬物に対する意見への反論で、とくに異論はありません。
続いて、マコト氏のコメントなのだけれども、わたしが『評論家入門』で、タテイシさんの批判している箇所を読んだとき頭をよぎったのは、
マコト氏はじめ、他の友人、高校の同級生の友人等、複数の友人知人が現在精神安定剤抗鬱剤睡眠導入剤等を服用して生活を送っている
という事実でした。わたしは決して薬物を服用して生活できればそれでいいというものではないと思うけれど、実際問題、薬を用いて、不安定が
少しでも解消されるなら、それは否定すべきではないという、個人的な交友関係を通じて得た実感があります。端的に言えばそれは自分の身の回りの
人間が自殺することへの恐怖に基づく感情であるかもしれない。しかし、そういった感情はどうしても否定し得ない訳ですし、自分自身
鬱的な傾向が無いとは言えないので、いつか薬に頼ることがあるかもしれない。先に述べた「依存」が「悪」かという疑問と同時に
極めて情緒的な部分でも、わたしは精神にかんする問題の解決を薬に頼ることを否定し得ません。


マコト氏は小谷野敦の著作を読んだことが無いようなので、申し添えておきますが、小谷野氏は決して「穏やかじゃない」ひとです。
少なくとも氏の著作を読めば(読みたくなくなるかもしれないけれど)わかります。
それから、マコト氏に対してのコメントは、「論争などで負った精神的苦痛を和らげる方法として」の投薬の是非という本題からずれて、
一般的な精神的苦痛を和らげる方法としての投薬についての内容になっていますが、先に述べた「薬」にたいする「依存」が「悪」か、という疑問とともに、
情緒的な部分でも「否」と言っているわたしがいるということが明確になるので、このように記しておきます。