3-5 片思いの構造と理想の女性像



筆者は「完全な片思いというのはあるのだろうか、と問」い、「よおく考えると、あることか、私は向こうから近寄って来たときにのみ女性を好きになっているような気がする」と告白し、「別段異性としての関心があって近寄ったのではなかったり、私の人格がわかって気持ちが離れていったりしたあとで、私が「片思い」を始めるのである」(91)と個人的な片思いの構造について言及している。


次に筆者は、中学三年生のころ、新聞広告で見た当時23歳だった女優の竹下景子の写真を、「当時彼女が出演していたドラマ『女の河』」(92)の原作者(平岩弓枝)の写真だと思い、「小説を書くような才能があって美しい女性」と勘違いして惚れ込んだ事実から「私は「知的な才能のある美人」が好きなのである」と言い、「第一に知的才能、第二に容貌なのである」(93)と付け加えている。


さらに、筆者はなぜ自分が知的な美人が好きになったかその理由を問い、その答えとプロセスについて以下の通り記している。

  • 「頭のいい女性と結婚したいというのはことさら変わった願望ではない、という説もある」が、「自分より学歴の高い女性と結婚するのはさすがにツライものがある」。しかし「幸か不幸か東大出なので、理想の女性のランクがいっきに上がってしまったのかもしれない」
  • 「高校生のころ、新聞記事で、東大の女子学生に関するアンケートかなんかがあって、それを見て」、彼女たちが「私がそれまでの人生であったことのないような種類の女性であって、別世界の住人のように思えた」(94)
  • 「人間はどこかで現実とぶつかって妥協する」ものだが、筆者の東大入学当時「才色兼備の人」はそれほどいなかった。大学在学中、女性と交際することがなかったので、「妥協のチャンスを逃した」
  • 「極めつけは、私の進学した大学院」で、「「才色兼備」を絵に描いたような女性が何人もいた」。

「「才色兼備好き」の傾向があった」うえに、猪口孝・邦子夫妻にあこがれて、「私も美人で優秀な女性と結婚してこういう高名な夫婦になりたいと考えるに至ってしまった」

  • 「八〇年代ころから、私の周囲に限らず、才色兼備の女性があちこちに叢出するようになった」ため、「私の理想は、高いところで固定したまま、動かなくなってしまった」(95)