都市音楽と民族音楽



K 民族音楽の特徴として、そのリズムに常に「訛り」があるということが挙げられます。アルゼンチン・タンゴにしても、不思議だと思ったのは、彼らはパーカッションをまったく使わずひざの上に乗せたバンドネオンだけでうねりのあるリズムを作っていくということですね。この「訛り」。「訛り」というのも、西洋音楽の概念なわけですけど、その「訛り」を採譜化していくということが、音楽の構造分析ですね。ぼくの考える21世紀の
エキゾティシズムというのは、この採譜化された「訛り」と、個人的な幼児期の妄想のハイブリッドされたものという感じです。


I なるほど。


K 構造主義的にやるしかないんですね。ぼくは都市音楽しか作れないんで。ワールドミュージックにおける問題というのは、カネにあかせて、現地のミュージシャンをババッと連れてきて、その音楽の構造も分からないのにそのまま録音してパッケージングしてしまう、ということですね。それは自分たちのものじゃないんだから、分析しようというのがぼくのスタンスです。まあ『南米』の「訛り」にしてもこれは、ぼくの考えた架空のものなんですが。


〔同作から「京マチ子の夜」がかかり、スクリーンに「ブエノスアイレスにて(仮)」と書かれた手書きの譜面が映し出される。菊地氏による解説〕