丸山圭三郎 / 言葉と無意識 (講談社現代新書)



 第2章〜3章でソシュールの生涯に絡めて、欧州における言語観の変遷(契約、真理の黙示としての神学的「言語」観→梵語発見に伴う科学的「言語」観/自然主義的な決定論的「言語」観→科学的経験主義的「言語」観)が語られて、これは面白かったが、彼が晩年熱中したアナグラム分析についての文章にはあまり興味が持てなかった。


 4章後半が術語だらけになって、読むのに実に骨が折れたが、終章の金と性と死が、共に「関係と実体が錯視され」る非実体的な価値体系である、という言説には、今更ながら興奮した。まあ、現実では、錯視し、錯視されて「見えない関係」に翻弄されているわけですが。全般的に抽象的な議論が多く、言葉遣いも難しかった。
 ただし、クリステヴァの提唱した概念「inter-textuality」(間テクスト性)の定義が掴めたのは面白かった。



間テクスト性〉とは、しかしながら、単にある詩人なり作家なりが前世代や同世代に属するテクスト群から受けた有形・無形の影響のもとに新しいテクストを生産することではない。日常生活においてこそ意識的な読み手と書き手にとどまる私たちが、非人称的主体となる深層意識の意味生成の現場では、言葉が言葉と交錯して自己増殖をとげるように、テクストは不断に他のテクストと交錯し増殖するのである


丸山圭三郎『言葉と無意識』 p.115


しかし、「深層意識」だとか「無意識」だとか壮大な「物語」ですな。フロイドについての本を読んでみようかしらん。