坪内祐三 / 一九七二 (文春文庫)

一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」 (文春文庫)


 以下は、本書301〜302頁からの孫引きである。初出は『ニュー・ミュージック・マガジン』1971年12月号(特集「ぼくたちにとっての伝統の問題」)。

 ぼくらがたかが海の向こうの国の音楽に、これほどまでに熱狂的になるというのは、ぼくらもまた同じ状況のなかで生きているんだ、と感じているからだろう。そこには伝統や文化的背景を超えた共鳴が、確かにある。だが、それだけでは話にもならない。問題はどうしたらそれを自分の方に引きよせられるか、主体的な自覚にまで深めることができるか、ということなのだ。そしてここにいたっては、伝統や文化的背景を単にないがしろにするわけにはいかない。
 アメリカ映画を見た帰りに、ショーウィンドーの中に映っている自分が日本人だ、ということに気付き驚くぼくらは、いったい何なのだろう。第三の文明開化といわれる戦後に育ったぼくらは、日本人といえば、あの「神国日本」を思い出す世代―大人たちとは、また違った意味で、「日本」という言葉を恥かし気に捉える。確かに西洋とたいしてちがわない街で外人みたいに化粧した女の子と、洋風な生活を続けるぼくらには、もう「日本の伝統」なんか無関係かも知れない、だが、それらは、あくまで「西洋まがい」なのだ。そして日本は、どこにいっちまったのか。はたして、Gパンをはいて、街をぶらつくぼくらが、実は日本人だということと同様に、その西洋の拙劣な模写である街も、やはり「日本」なのか。だが、それは「日本もどき」でしかないのかもしれない。
 ぼくらの日常は、この「西洋まがい」と「日本もどき」の谷間の中にうもれている。そして、夢に描いていた「西洋」を見失い、ふりかえってみると、「日本」さえ、喪失してしまっているぼくらは、まるで袋小路の中に迷いこんでしまった盲人のように不安なのだ。


松本隆「ぼくらの『日本』をみつけよう」



 はっぴいえんどの作詞家兼ドラマーであった松本のこんなふうなことばを、いま改めて捉えなおすと、「ノンポリで音楽マニヤのお坊ちゃんたちがマニヤならではの独特のロック音楽を遺し、その音楽性の高さゆえ、90年代を経てこんにちまではっぴいえんどが聴きつがれている」という言説の政治性もまた明らかになりそうな気がする。
 それはさておき、ポルノ解禁と性意識の変化や、連合赤軍、沖縄の本土復帰や奥崎健三、グランド・ファンク・レイルロードやキャロル、『ぴあ』や田中角栄といった数々のトピックを取り上げる連作随筆のなかで、「1972年」という「時代」を描こうとする作者の試みは、なかなか上手く行ったといって良いのではないかと思う。特に、ポルノ解禁について性意識の変化を語り、次の回でその性意識の「分裂」が「連合」赤軍の中にあったと語っていくような、文章のドライブ感がすばらしい。