20:30頃。ゲストとしてUA登場。
- プロモーションでこのアルバムがどうやって作られたかという話を20回くらいしている。そろそろエピソードを捏造しても良い頃(笑)。でもそういうわけにもいかない。
- UAと菊地の出会いは、2003年。UAが教育テレビで出演していた『ドレミノテレビ』は2003年に1年本放送。その後、2年間再放送された(現在はDVD化されている)。「いっしゅうかん」のアレンジを菊地が行い、レコーディングもNHKのスタジオで行った。
- 実際に対面したのは、ある雑誌の企画でUAのアルバム『泥棒』のリリースにあわせて招待客のみの限定ライブがブルーノート東京で開催された際、UAの楽曲をジャズアレンジで演奏することになり、そのバックバンドのサックス奏者として。そこでUAの魅力に惚れ込んだ菊地が、当時制作を進めていた『Degustation A Jazz』に「1曲歌ってください」とラブコールを送った。同時期、UAの『SUN』に自分が編曲とサックス演奏で参加することが決まったが、どちらが先だったか後だったかはっきり覚えていない。
♪UA「忘我」
- アルバムを作ろう、と言い出したのは自分。UAの『SUN』がリリースされたころは、UAはツアーをやっており(『la』というライブアルバムになっている)、(菊地成孔)クインテット・ライブ・ダブも並行してツアーをやっていた。「スタンダードジャズをやっていると(調子の悪いのが)治る」と当時菊地が話していたとのこと(UA談)。(京大)西部講堂*1は雰囲気が良かった。「憧れの場所だったから、あそこでライブできてとてもうれしかった。演奏中汗がずっと生まれている感じでとても良かった」(UA談)。ツアー中のUAが横抜けして、クインテット・ライブ・ダブの演奏に参加して、そのライブの頃から「(菊地の)ソロアルバムにUAが参加」という話はもう出ていたが、それから1年くらい構想自体がペンディングされていた。その時「スタンダードは良いね」という話しはしていた。「2人でコラボろう」「(『ドレミノテレビ』でやっていた)童謡もある種のスタンダード。スタンダードジャズをやりたいというUAのオーラはその頃から感じていた」(菊地談)。
- 2人のコラボレーションアルバムを制作するにあたって、スタンダード (ジャズ)を録音することは決めていたが、スタンダードは膨大な数がある(俗に『1001』と呼ばれるスタンダードブックがあって、そのうち、よく演奏される曲は200曲くらい。50年代、60年代、70年代、80年代とそれぞれの年代に、それぞれのミュージシャンが残したスタンダードが存在する)。少なく見積もって100曲のうちから(アルバム収録曲12曲のうち)6曲を選ぶのは至難の業。「UAがこれ歌ったらよいだろうな〜」と思う15〜6曲くらいスタンダードを入れたCD-Rを菊地が作って、UAに手渡し、その中から3曲をUAが選んだ。
♪ジュディ・ガーランド「オーバー・ザ・レインボウ」*2
- 1937年録音、1939年の映画『オズの魔法使』のサウンドトラックに使われたジュディー・ガーランドの「虹の彼方へ」。「リズムをちゃんと聴いたの初めて。マイケル・ジャクソンが出演していた黒人版の『オズ』*3をテレビで見たことしかなかったから、とっても驚いた」(UA談)。「この時代の、黒人がやっていないポピュラー音楽としてのジャズのリズムはこんなもの」「『ピンクフラミンゴ [DVD]』のジョン・ウォーターズが最後の結末(「家族は最高」)さえなければ、『オズの魔法使』はアメリカ映画史上最高の映画だと言った」(菊地談)。
- 20年前、音楽学校の宿題で「有名な曲のコード進行を付け替える」というのがあって、それで「虹の彼方へ」を付け替えてみたらとても良い評価をもらった。そのとき、一音消えたら、また始まる、という今回録音した利き酒のような、懐石(料理)のような構成も考えていた。20年前に書いたスコアを使った。
♪UA×菊地成孔「オーバー・ザ・レインボウ」
- UA×菊地版の「オーバー・ザ・レインボウ」は全部で11分ほどある。自分で作ったものをあんまり聴かないので、こうやって聴くと興奮しちゃう。Healingを超えたcureじゃないか。サビに入る前にフェイドアウトしたことを受けて→新作を作るといつもラジオサイズ用のバージョンを作らなくちゃならない。3分から3分半くらいの長さ。
- 次に聴くのは戦時中にビバップの立役者としてチャーリー・パーカーと一緒に活躍したディジー・ガレスピー作曲の「チュニジアの夜」。UAはディジーの曲を聴いたことはなかったが、なぜか曲を知っていたとのこと。1945年のディジー・ガレスピー・ビッグ・バンドの録音。これは第二次大戦が終結した年に録音されたもの。先ほど流した「オーバー・ザ・レインボウ」は1939年の映画。この年、第二次大戦が始まった。
♪ディジー・ガレスピー「ア・ナイト・イン・チュニジア」*4
- UAの感想:「主旋律に対する「なんでやねん」がおもしろい」→それを受けて菊地:「黒人音楽でいう「コール&レスポンス」。黒人奴隷のワークソングの中で、「今日の仕事はつらいよな」「そうでもないよ」というようなやりとりがあって生まれたと言われている。スウィングジャズなんかは、みんなこの「なんでやねん」が欠かせない」「ダンスホールのための音楽というか、JumpやJiveといわれるものに近い演奏」。
- UAの感想:「もう随分前のことのような気がする。でもこの曲の「それ以前」と「それ以降」というのが存在する」「結局8テイク録音して、1番最初の1テイク目を使った」→菊地:「UAは納得するまで何度も歌う」→UA:「結局1テイク目になることが多い。1テイク目だ、と決めるために何回も歌っている(笑)」
*1:2004年7月に行われた菊地成孔クインテットライブダブ+UAのライブパフォーマンスのこと
*2:アルバム『ベスト・オブ・ジュディ・ガーランド』収録
*4:アルバム『ケン・バーンズ・ジャズ?20世紀のジャズの宝物 The Very Best ofディジー・ガレスピー』収録