映画美学校/音楽美学講座/クリティック&ヒストリーコース/第10回講義@京橋・映画美学校
- 本日のテーマ:1960-1968年の英米ポップスを俯瞰する
- 感想:その1
野々村文宏さんが米国保守層の価値基準として『エド・サリバン・ショー』を語っていたのが面白いなあと思った。モータウンのビートルズへの影響や、これらの英米各々での受容の差異についての解説が興味深かったけれど、ベルベット・アンダーグラウンドがいかにアンディ・ウォホールにプロデュースされたかという話が一番印象に残った。自分がいかに白人ロック史に関心が無く、知識も無いかということに気付かされたからだ。YMO→細野晴臣→はっぴいえんどと遡って、大滝詠一に降りるとサーフ・ロック、フィル・スペクター、ブライアン・ウィルソン、バーバンク・サウンドというあたりは、その「系」を辿る上で、程度の差こそあれ触れずにはおれないので、そのあたりの解説はとてもレビューっぽかった。個人のポップス聴取史を振り返るといった感じで。
わたしの関心がある60年代というと、やっぱりジャズになるんだろうか。モータウンは素晴らしいけど、高音が強くてキャンディー・ポップしてるし、スタックスは低音が出てるのは良いけど、やや泥と汗の臭いがする。ブライアン・ウィルソンは繊細過ぎる(彼のしぶとさは幸運にも現在証明されているけど)。コルトレーンは多少は聴いてるが、時代の熱さと彼の創造性の魅力はなにがしか理解できるものの、愛聴するには至らなかった。思い付くままあげると、やっぱりジミ・ヘンドリクス、ギル・エバンズ、それとエリック・ドルフィーがわたしの60年代の大衆音楽に対するファンタジーを紡いできたような気がする。それが「大衆」的なものだったかどうかはもちろん別だ。60年代という歴史そのものが、1980年生まれのわたしにはすでにファンタジーとしてあるから。むろんビートルズとボブ・ディランからは誰も逃れられないだろう、と思いつつ。
60年代を探るキーワードとして「電化」「逸脱」とか色々あったけど、講義のあと、クロード・ソーンヒルの編集盤を聴いて、今ギル・エバンズ・オーケストラの『プレイズ・ジミ・ヘンドリクス』(これはジミの死後なので、70年代の録音)を聴きながら上述のようなことをつらつら思う。なんとなく、個人的に重要なのはギル・エバンズなのかねぇ。どうもそんな感じだ。
- 感想:その2
ウォホールの物の考え方はダダに共通する部分があるような気がして20年代と60年代を比較してみるのも面白いかなと思った。ダダというキーワードで連想すると、60年代にはフランク・ザッパがいた。ザッパはアルバム2枚しか聴いていなくて、わたしはザッパにいかなかったんだな、と思った。夢中になってもおかしくない彼の音楽世界があるとは思うんだけど。結局ギル・エバンズなのかね、と自分に突っ込みつつ、音楽の嗜好を辿るのは面白い。大文字の歴史って、そのままじゃ受容できなくて、個人史に落とし込んで検討するしかないのかもな、わたしは学者でも研究者でもないから、などと色々と感じさせられる講義でした。
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- 1955-1964
- 1962年、ビートルズが「LOVE ME DO」でデビュー
- ブリティッシュ・インベイジョン
- Evergreen/Oldies
- 1964年以降、ヒットチャートのベースがロック主体になる(ジャズとロックの逆転)
- 1959年、ビルボードがチャートをモノラルレコード/ステレオレコードに分ける
- 白人が黒人音楽をいかにコピーしたか
- 白人中産階級女子が飛びつくポップス→R&B風味のポップス→エルビス・プレスリーの登場と蓄音機の普及
(つづく)