高橋昌一郎『理性の限界』から読まれるわたし―本当は身近にある理性について、あるいは弄弁的自己批判

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)


 2010年の冬も本番。ところは、都下世田谷区のとある公園近くのアパートの一室。サリーちゃんのパパとウランちゃんがミックスされたようなすさまじい寝癖をなおさずに、寝巻きのままでだらしなく電気カーペットの上に寝そべっている男が本を読んでいる。会社員Sその人である。


S「いやー、面白いなあ。面白いなあ。面白かったなあ、『理性の限界』。いや、いったい面白いというのはどういうことなんだろう、まったく分からないな。twitterで先生とも再会できたし、今年はいろいろあったけど良い一年だったよ。もう一度最初から読み直そう…」


RF「ちょっと待ってください!あなたは『知性の限界』の書評で、次のように評しています。「わたしの理解では『理性の限界』『知性の限界』は2冊で併せて1冊である。 つまり、これらはふたごの姉妹のようなものだ」と」


S「わっ!びっくりした。どこから入ってきたんですか?きょうは妻も実家に帰っていて留守だし、これで思う存分本が読めると思っていたのに。せめて玄関でドアチャイムを鳴らしてください。そうしたら居留守を使ったのに…」


RF「突然ですが、あなたは読書行為をいったいどのように捉えているのでしょうか?2冊の書籍を魅力的な姉妹に喩えることはあなたの男根主義的なテクスト理解、つまり現今の家父長制に無反省な読書行為のあらわれに他ならない。そのような強制的異性愛を強化する読書行為は断固廃絶すべきでしょう!」


S「う……」


RF「反論しないのですね?それではあなたは2冊の書籍を魅力的な姉妹に喩える男根主義的なテクスト理解者であることを認めますね?」


S「いや……あの、その…フェミニズムについては勉強中でして…永遠に…というか…どこから…?」


RF「逃げないで下さい!話をそらさないで下さい!あなたは自分の名前で文章を発表しているのですから、自分の発言に十全な責任をとるべきです!いや、十二分にとるべきです。だいたいあなたは毎晩のようにあなたの奥さんと性交しているでしょう?あなたは男が女とセックスすることをいったいどのように批判できますか?」


S「あの、妻とは………そうですね、この3年くらい性交はしていないんです。もちろんきわめて稀にすることもありますが、基本的にはしないんです、できないというか…あの、正確に話すととても長くなるんですよ、それはですね……いろいろありまして…」


RF「…えっ!あの、と、、、ともかくですね、い、いずれにせよ、あなたがかかわりあう男女の性交自体が男による女性支配に与していることに異論はないでしょう?個人的なことはすべて政治的であるはずです!」


S「うーん…ちょっと考えさせてください」


RF「即座に答えるべきです!」


S「わたしは、ゆっくり考えるのが好きなんですよ。ええとね、なんと言えば良いでしょうかね。あなたは男女というのがはっきりといまここに存在していると信じているわけですね?」


RF「当たり前じゃないですか!現今の日本社会を見れば自明のことでしょう?男どもは相変わらずその既得権益を維持高進せしめようと欲し、日夜その男性中心の伝統と家父長制にもとづいた支配のもとに我々女性を置きつづけようとしているのです」


S「そう考えられるのはうらやましいです」


RF「!!! な、なんですって。とうとうあなたも認めましたね。あなた自身が男性中心の伝統と家父長制にもとづく支配に無反省に加担していることを!」


S「ところで、男って何ですか?」


RF「男は男です!男という存在ですよ。男であると見なされているところの存在です!社会的にも、文化的にも、生物学的にも!」


S「ああ、なんだ、あなたも科学の敬虔でない信徒なんですね」


RF「なんですって!」


S「お帰り下さい。わたしは科学を信じたい。しかし科学に対して敬虔であるなら、科学については常に徹底的に批判的であり続けねばならないでしょう。同様に、フェミニズムについてもそうあるべきではないですか?というかそもそもあなたは言葉そのものの恐ろしさについてどれだけ反省しているんですか?そのように断定的に言葉で世界を切り取ることへの恐れが無いというのが一番問題でしょう?」


RF「な、なんですって!なにこの男の腐ったようなアンチフェミニストは!何なの!こんなに話しても分からないなんて理性のかけらもありゃしないわ。こんな男はまったく男らしくない男の中の男、くず男だわ!今すぐに死ねばいいんだわ!こんな男、社会の害悪、いや人類全体における悪そのものよ!この、醜男が!」


〜〜〜バタンッ!!!〜〜〜



S「ふうやれやれ、帰ってくれた。しかしどうやって入ってきたんだろう?家のドアというドア、窓という窓、すべて鍵をかけてあるのに。まあいいや、わたしはわたしの読書を邪魔する者にたいしては容赦しないのだ。さあ続きを読もう」


PA「ああ、なんという画に描いたようないわゆるひとつのファザー・コンプレックス!君は父親と距離を置くような厳格な家庭で育ったんだね。そしてお父さんに表面的な愛情表現をされないまま成長してしまったんだ」


S「ちょw今度はw誰!?wwwああーそうですねー、仰りたいことは分かります。その欠落感を埋めるために、父性的なものに憧れている、つまり<掟>への憧れがあるというんでしょう?」


PA「む!鋭い!しかも自己演出が巧みだね」


S「それは否めません。わたしの知性や理性への恋焦がれる気持ちは精神分析や臨床心理の考えではそのように名づけられるのが妥当と考えます」


PA「この落ち着きはまさに、そうだ!父性的なものに憧れている、つまり<掟>への憧れのあらわれだな。君は憧れのあらわれを生きているのか。でもそのことに気づいているのなら、その憧れる自分を受け入れてはどうかね。そうしたほうが生きやすくなるよ」


S「生きやすくなるですって!でも『たまたま地上にぼくは生まれた』わけで、『どうせ死んでしまう…… 私は哲学病。』なので『ひとを愛することができない』んです。『人生、しょせん気晴らし』、『人生に生きる価値はない』んですよ。ニーチェの言うようにいまここにあると広く信じられている『キリスト教は邪教です!』」


PA「そのように君が君自身の言葉で語らないのでは、君は本来的な自分自身にはなれないのだよ。そのことは分かっているはずなのに・・・」


S「フロイドやユングの考えはわかっています。もちろんその差異や変遷については詳しく知りませんが、しかし、これだけは言える。彼らは真剣にいままさに使えるものを切実に使おうとした。否、使い続けた。しかしそれは意味の体系に過ぎません。言葉に自明のものとしてまとわりついているイメージを濫用しているのですから、科学的であるとは言えません!」


PA「なんだって!なぜ使えるものを使おうとしないんだね、君は?君が君自身を治癒するための最大最強の武器が言葉とその意味、イメージなのだよ。君は偉大なる先人の遺産と方法、そして人間存在への根本的な畏敬のこころが、欠如しているんじゃないかね?」


S「お帰り下さい。そうやって<掟>そのものを押し付けようとするところが、わたしが精神医学に心から得心できないところなのです。このように精神医学、精神分析と臨床心理を並べるところにわたしの暴力性があることはもちろん認めます。暴力などと言うまでもない、端的に言って雑ですね、詳しく言うと長くなるので割愛しますが。しかし、そのように認めながらも、わたしは非科学に対して敬虔であるなら、非科学についても常に徹底的に批判的であり続けねばならないでしょう。反科学についても同様です。


PA「な、なんだって!メチャクチャだ…。わたしは心から心を配って、心無い心から君の心を護ろうとしているのに…。そんな言い方はないだろう。不遜にも程がある!それではこれで失礼する 。これからの君の為を思って言うが、言葉には気をつけたまえ!」


〜〜〜バタンッ!!!〜〜〜



S「ふうやれやれ、帰ってくれた。しかしどうやって帰ったんだろう?家のドアというドア、窓という窓、すべて鍵をかけてあるのに。まあいいや、わたしの読書を邪魔する者にたいしては容赦しないのだ。さあ続きを読もう」










T「佐伯、おい、佐伯!聞こえるか!わたしの声が」

S「あっ!また誰か入ってきた!もう明日死んでしまおうかしら

T「お前、大丈夫か?顔色が悪いぞ。それはそうと、『理性の限界』の感想を聞かせてくれないか?」

S「ああっ、先生!どこから入っていらしたんですか?」

T「いや、何度ドアチャイムを鳴らしてもドアを叩いても応答がないので、取っ手を握って手前に引いたら、ドアが開いたよ」

S「な、なんですって!最初からドアは開いていた、ですって?そんなバカな・・・」

T「まず佐伯がドアを閉めたのかどうかも問題だが、ちょっと考えてみれば分かることだよ」

S「わかりました!論理的に推論してみます。第1の命題、「すべてのドアは閉まる」、第2の命題「すべてのドアは閉まらない」、第3の命題「あるドアは閉まる」、第4の命題「あるドアは閉まらない」…ええと、このことから…ううう…あああ、ちょっと紙に…紙に書かないと…わ、わからない。」

T「ちょっと佐伯、落ち着け、ちょっと落ち着け、そして考えろ」

S「え、ええ…?ええ、………?………」

T「どうだ、分かったか?」










S「ドアに鍵をかけたと思い込んで、鍵をかけ忘れていました………orz」