[催]栗コーダー&フレンズ@吉祥寺スターパインズカフェ

スターパインズカフェを訪ねるのは10年ぶり。圧倒的な音楽力に打ちのめされました。美メロ。そして川口さんもMCで言及されてましたが、コンポステラを彷彿とさせる豊穣な響き。前半は、ビューティフルハミングバード小池光子さんの歌声が美しすぎて、何度も泣いてしまった。後半はベトナムの一弦琴とミャンマーの竪琴が加勢して、音楽がより豊かに。素晴らしかった!

[雑文]ヴァイオリン作品の探求 その1



YouTubeで第15回ヴィエニャフスキ・国際ヴァイオリン・コンペティションのヴェロニカ・ジャーデク(ポーランド人)の演奏を聴いた。

ヴァイオリンという楽器に疎いので「まず、ヴィエニャフスキ、誰?」という感じ。不勉強のそしりを免れないw
ヴェロニカさんの演奏は、4曲目に弾いたウジェーヌ・イザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」作品27(1924)の第3番がとくに素晴らしかった。この第3番は、ルーマニア人のジョルジェ・エネスクという作曲家に捧げられているそうです。
イザイも、エネスクも初めて知りました。

自らが知らないことを知る。またきょうもソクラテスの教えに従ってしまったぜ......w 日々、無知の知を実践するわたくしなのです。

[雑文]キェルケゴールにとっての永遠



グレゴーア・マランチュク『キェルケゴール弁証法と実存』(大谷長訳、東方出版1984年)を読んでいます。神話の考察を通して、キェルケゴールが永遠という概念の本質について考えている(そしてそれをマランチュクが整理している)のだけれど、とても興味深い。

「それ故、神話において、無限界なものである永遠が限界づけの範疇、つまり時間と空間によって、把握されるのである。従って、永遠なものが人類の神話的時期に「抑圧されていること」において存するのである、なぜなら、永遠なものの本質は、限界づけの世界に属するような諸形式によっては表現され得ないからである」(p.31)

永遠は、時間や空間によっては把握し得ないのですね。ま、そりゃそうだろうと思わないでもないのですが。だって、永遠なんだから。あ、でも2018年現在において空間は有限性の規定として見なしうるのかという問題はあるよな。ほら、宇宙ってどんどん広がり続けているという説があるでしょう。だから。

[雑文]SNS時代の音楽批評



SNSの普及もあり、人びとが共感し合うことを元にコミュニケーションを図る傾向は強まり、それはとどまることを知らない。そんな時代に音楽を批評することは益々困難になっていくだろう。しかし、ぼくはあまりその困難さを恐れていない。なぜなら、すぐれた真の批評にはつねに対象への深度と確度をあわせもつ態度が求められると思うからだ。対象への深度と確度、というのは、言い換えれば、背すじがピッと伸びている共感のことである。だから、その批評は時に批評対象を厳しくえぐり取ることもあるだろう。しかしその痛みなしには批評はなし得ないし、けっきょく、批評家その人がどんな風に生きてしまっているのか、あるいは生きざるを得ないのかがモロ出しになるのが、これからの音楽批評だと思う。

きれいごとを言っていてもそれが限りなく確からしくなければ、誰も読んではくれないだろう。そんな中、意味と意義のある批評をつむいでゆきたい。

[雑文]音楽と書物の探求



音楽と書物を愛好して四半世紀くらい経つのですが、これらを摂取するにはとにかく時間がかかります。なので、それ以外に必要な時間を最小化せねばならない。音楽と書物によってもたらされる豊穣な体験を知ってしまうと、もうもとのからだには戻れませんw それらはどんな莫大な富にも替えられないものなのですよ…ウフフ。

[雑文]On a Schumann's Quartet



Schumann's Quartet for Piano, Violin, Viola & Cello, Op.47 is very beautiful work. And its 3rd movement is especially so sweet, painful and makes me commit suicide. Its strings section sings sad deeply and melancholically. The piano accompanies quietly with romanticism. Ahhhh, play this loud at my funeral definitely!!!!!

[雑文]多元宇宙論と西田哲学



山本直樹先生ととてもめずらしくさし飲み。マックス・テグマークの数学的宇宙仮説についての話を聞く。数学的に存在できるものは、物理的に実在するという考えにもとづく多元宇宙論なのだが、ふだん全く接しない分野なので話を聞いていて頭がクラクラした。先生からは、テグマークの『数学的な宇宙』という著作を勧められた。面白そうだが、読みとおせるかは分からない。

その興奮を湛えたまま、終電で帰宅。なかなか寝付かれないので、YouTubeで動画を漁る。Ishihara Yukoさんという学者の西田哲学についてのレクチュア(Awakened Realism: Insights from Japanese Philosophy)が面白くて聴いていたら夜が明けてしまった。自覚や、場所、純粋経験、絶対無といった西田の概念について、平易な表現とわかりやすい比喩で伝えている。あと、やはり、日本人の英語は理解しやすいなぁと漠然と感じた。ニューヨークのルービン美術館内で行われたトークのよう。一般向けのイベントだから(?)そのためもあって分かりやすいのかもしれない。リンクを張っておきますので、ご興味ある方はぜひご覧ください♪