[催]東京現音計画#09〜コンポーザーズ・セレクション4:近藤譲@台東区生涯学習センターミレニアムホール
夕刻に家を出て、電車を乗り継ぎ、台東区生涯学習センターに午後6時半前に着いた。現地に着く直前に以前ここに来たことがあるなとふと感づいた。生涯学習センターの建物の脇のビルにバーミヤンが入っているのだが、あそこでいつかの夏だったか、東間くんらと時間を潰したことがあった。かっぱ橋の道具街がすぐそこで、古美術の店を冷やかしたことなども思い出したが、どのくらい前のことなのかまったく見当がつかなかった。
James Tenney, Saxony for saxophone and tape
サキソフォン奏者の大石さんが4本のサキソフォン(ソプラノ、アルト、テナー、バリトン)を用いてそれをエレクトロニクスの有馬さんが重ねていく感じ。ラーメン屋《サクソニー》の秘伝のタレ。つぎたしつぎたし、何年もかけて醸成される音響の森。
- カルロス・サンチェス = グティエレス 《Kikai no Mori (「機械から現れた…」第2番)》(2009)打楽器、ピアノ
Carlos Sanchez-Gutierrez, Kikai no Mori (Ex Machina II) for percussion and piano
技巧的な曲で8楽章構成。とにかくパーカッションもピアノも忙しない。現代音楽のクリシェというか、象徴的な技法が適宜織り込まれている秀作という感じで、面白味はない。
- モートン・フェルドマン 《持続 第3番》(1961)ヴァイオリン、チューバ、ピアノ
Morton Feldman, Durations III for violin, tuba and piano
素晴らしい。ヴァイオリンとピアノ、チューバの音がそれぞれ層をなして、端正な音(楽)が成し遂げられる。フェルドマンはベルクソンの哲学を意識していたのだろう。持続とは、これ時間のことですから。
Jo Kondo, Prolwgomenary Verses
神話的混沌からことばが生まれるその瞬間をすくい取ったような感じの小曲。
Jo Kondo, A Shrub for alto saxophone, marimba and piano
かそけくあえかな詩情。進んでいる感じが無くても、音楽は時間芸術なので進行してしまう。あるいは人間がそう認識してしまうのだ。進んでいる感じが無くても進んでいる。そこにポエジーが生まれる。それがここのところの近藤作品の特長といえるのではなかろうか。それがここのところの近藤作品の特長といえるのではなかろうか。
平日水曜の夜ということで集客はあまり良くなく、空席が目立った。100名前後というところ。帰路が同じ友人のSさんに尋ねたら「現代音楽のコンサートってそんなものですよ」とあっさり。そうなんですね!そんな感じだとそのうち滅びるのでは...!!??