ウツボティーク・インタビュー・シリーズ vol.1:齋藤紘良 (作曲家) 転校生のような音楽/世界をごった煮にする音楽



 前口上

 「ウツボティーク・インタビュー・シリーズ」と銘打った企画を始めることにしました。次回がいつか、いつまで続けるか、ということはあまり考えずに、とりあえず自分が面白いと思った人に話を聞いてみよう。聞きながら考えてみよう、というような気持ちです。
最近『nu』というきわめて面白い雑誌から大変刺激を受け、「人の話を聞くとはどういうことか」「インタビューって何なのだろう」ということも、この企画を通して考えていけたら良いなと思っています。
 第1回目は作曲家の齋藤紘良さんに最新作の映画『立体東京』の音楽制作を皮切りに、氏の音楽についてお話を伺いました。つたないところも多々あるかとは思いますが、よろしければ、しばしお付き合いください。



プロファイル


齋藤紘良(さいとう こうりょう)


1980年(昭和55年)10月、東京生まれ。現在、都下町田市在住。作曲家。高校時代より作曲を始める。2002年、サタデーイブニングポスト(略称SEP)を結成し、活動開始。南米音楽、現代音楽やエレクトロニカなどの影響を受けた独特のポップミュージックを展開する。2003年8月にSEPとしてファーストアルバム『Saturday Evening Pop』(自主制作盤)を制作。2006年11月にアルバム『It's All True』(Sep-Office/BRIDGE)を発表。ソロ作品として『House Works '04』(自主制作盤)がある。 ウェブログサタデーイブニングポスト









転校生のような音楽






―作家・乙一さんの映画『立体東京』*1の音楽を担当されたそうですね。


はい。テロップは少しあるのですがセリフが一切無くて、3-Dメガネで見ると立体映像になる、35分ほどの短編です。美しい作品ですよ。


―いつごろ音楽をつけて欲しいと、話があったんですか。


一番最初に話があったのは、知人を通して、2年位前ですね。最初は、監督が複数の音楽家の作品をいろいろ使おうと考えていたみたいで、そのうち2シーンの為に、1,2曲作って欲しいという話があって、1シーンにつき3曲作ってプレゼンしました。で、とりあえず採用されたんですが、そのうち、話が変わって、1年くらい前に、全編担当してほしいと話があって、それまで作った曲は破棄して、ぜんぶ作り直しました。


―今回どのように作曲されたんですか。


撮影された映像を見ながら、ピアノで即興したものをとりあえず録音して、それを原型的なイメージとして作っていきました。


―今まで、SEPや他のプロジェクト、ソロ活動などでも作曲されていますが、今までに無く長い曲ですね。


そうですね。映画は電車のシーンで始まるんですが、そこにインスピレーションを得て、作曲しました。電車って、一定のリズムを連想させるでしょう。でも実際は違うんですよね。ゆらぎがある。


―駅に近づくにつれて減速したり、駅間が長いと加速したり、急停車したり、いろいろ変化がありますね。


そうそう。でも、そう混雑していないのんびりとした電車に乗るのって気持ち良いでしょう。そんな雰囲気で、一筆書きで。線(路)はあるけど、ゆらぎのある音楽というイメージで仕上げました。


―デモ音源を聞かせてもらいましたが、過度に実験的でもなく、非常にゆったりとした心地よいバイブレーションがありますね。どのように制作されたんでしょうか。


先ほどお話した、ピアノで即興したものをベーシックなトラックにして、打楽器など、楽器はいろいろ使ってますよ。打ち込みはないですね。すべてひとりで演奏したものを録音して、logic*2で編集していく感じです。


―すると、ハードディスク録音がメイン?


もちろんハードディスク録音もしますが、ハードディスク録音特有の音の感触があって、それだととてもキンキンした感じになってしまったので手垢をつけるためにテープレコーダも併用してます。後は、ハードディスク内でのピンポン録音も独自の音像を作るうえで多用しています。


―テープレコーダというと、メディアはDATですか?


いや、DATだとやっぱりデジタル音になってしまうのでホントに一般的なオーディオ用のカセットテープ(笑)。レコーダは、SONYのTC-1180という録音専用機です。


―カセットテープ、昔は良く使いましたよ。ラジオのエアチェックしたテープが実家の押入れに300本くらいあります。


忘れ去られつつあるメディアですね。もう品薄になってきているみたいで、メタルテープがなかなか売ってないので困ってます(笑)。


―制作する上で特に気をつけたことがあれば教えて下さい。


映像を引き立たせることに注意しました。主張しない音楽ということですね。決して、盛り上げる音楽ではないです。観ている人の感情を煽るようなものにはしたくなかったので、自分のエゴを抑えることには気をつけました。手弾きを元に加工しているんですが、音を前に出さないようにということは常に考えましたね。自分で作りながら、転校生のような音楽だなあ、と。打楽器も使っていて、リズムが無いわけではないんですが、なるべくリズムを感じさせないようにしました。


―転校生のような音楽というのはおもしろいですね。初めてやってきたクラスに馴染もうとしている...。


見知らぬクラスにやってきて、なるべく目立たないように、角の立たないようにしている転校生みたいな音楽(笑)。映像にとって、音楽は異物ですからね。映像がどんな内容かによっても、付ける音は変わってきますね。




エレクトロニカの精神性




―作曲を始められたのはいつですか。


高校2年生の時、ノートPCを兄から譲り受けたのがきっかけで打ち込みを始めました。最初はDTM一本だったな。時代的にDTMがぴったり合っていたんだと思います。


DTMを選んだのは、何か理由があるんですか。


それまでピアノは弾いていたんだけど、既成の曲を演奏することそのものに抵抗がありました。バイエルのような、そういう避けて通っちゃいけないと決め付けられているものを演奏することに面白みを感じられなかった。ピアノで即興もやっていたんだけど、周囲には全然理解されなくて...。そんな自分のやりたいことがDTMにフィットしたんですね。


―自分ですべてコントロールできるってところでしょうか。


自分が一番気持ちの良い音を探していただけなんですけどね。


―今の話からはやっぱり時代を感じますね。非常に90年代的な、90年代の精神的なものを...。


うん。時代の影響があっていろんな世代の音楽が現れるので。当時は民族音楽が大好きでした。メロディーにしか気持ちの向かないポピュラーミュージックの風潮が苦手で、音の響きにとても心を打たれていました。


―初期のSEP、2002年頃はエレクトロニカにも強い影響を受けてましたね。


そうですね。エレクトロニカの精神性に共鳴していたんだと思う。プチプチシャリシャリしているのだけがエレクトロニカではないですよね。表層的なイメージだけ掬い取っても意味がない、と思いながら活動してました。


エレクトロニカの精神性というのは、音の響きに対する感受の仕方の提示でもありましたね。


うん。僕の中では民族音楽アンビエントがルーツとしてあり、その精神性をエレクトロニカも引き継いでいる。当時もてはやされていたエレクトロニカ界隈のひとたちってポッと出のクリエイターのような印象が強いけど、調べてみると楽器を投げて、打ち込みに走ったりしていてそれほど単純じゃないんですね。紆余曲折を経て、エレクトロニカをやっていた。現代音楽や、プログレをやっていたひともいる。
エレクトロニカを当時やっていた人たちって、音楽に限らず色々なジャンルと結びついていてそれも興味深かった。広い意味で文化人なわけですよね。僕もお酒を飲むときは、音楽家よりも料理人や小説家、デザイナーなど違うジャンルの方々と話をする機会のほうが多いです。


民族音楽アンビエントエレクトロニカのルーツというのは、分かる気がします。もうこれはとっくに誰かが言っていて、受け売りになるかもしれないんだけど、エレクトロニカっていうのはコミュニティの音楽だったと思うんですね。コミュニティってのは、顔が無いでしょう。個性が無いというわけではなくて、顔が無い。その、コミュニティをどう定義するか、という話もあるんだけど。


コミュニティ内ではお互い顔を知っているけれども、個々人を訴える音楽ではないというね。


―音楽はそもそも集団をまとめる為のものとして生まれたという見方があって、わたしはそれに与するんだけど、社会的な機能と祝祭性が同居しているというかな、そういうところまで振り返っている音楽だと思うんです。


そう、だからフォークトロニカ*3が出てきたのもごく自然な印象でしたね。そういうある種の匿名性を保持できる環境の中で、自分を再認識できるというかな。それがひじょうに心地よかった。


エレクトロニカが投げかけた視点というのは別に新しいものではないですね。音に対する意識を持ち直すというのは、その時代時代に何度も繰り返されてきたことであって。


うん。メロディ重視のポピュラーミュージックに礫を投げたものとして、ブライアン・イーノ*4の「環境音楽」がすでにあって、それも音に対する意識の改革、そのひとつのあらわれですね。アンビエント・ミュージックからエレクトロニカまで通じている視点があると思う。


―音楽はそもそも音の響きなんだなんていうと詮無いですけど、そういうアイデアがイギリス人のイーノから生まれてきたというのも面白いです。


そう、西欧的な、バッハから始まるような音楽の流れのうちに、一石を投じた。ジョン・ケージが20世紀に成し得ようとした現代音楽もそうですが、音に対する意識の改革というのは、非常に宗教的な、思想的なものでもあると思うんですね。


―意識を変えることで、世界の捉え方が変わってしまうから?


まさに。そういう意味では、日本人の個性があるとすれば、アンビエントエレクトロニカに通じている音の捉え方というのはとても日本的だと思います。


―日本的とは、具体的にはどういうことですか。


排除ではなく受容の精神というのかな。日本では仏教と神道が混ざり合って、そこにキリスト教も入ってきて、荒波の混沌が生まれた。そして、波もやがて穏やかになる。西洋的なものの見方もそうでないものもごった煮になっていて、それが不快でないというね。これはとても貴重で豊かなものだと思う。受容することの厳しさというのもあるし。何でも受け入れることは難しいですよ。教条的に異物を排除するほうが簡単。今の世の中を見ていてもそう思う。


―大らかさが持つしぶとさや力を音の響きに見出せるってことなのかしら。


うん。原理主義的ではないっていうこと。その、エレクトロニカに僕はそういうものを見出したし、それが好きだったんですね。


―それはあなたがお寺で生まれたであることとも関係ありますか。ちょっとつまらない質問かもしれないけど。


僕が日本でお寺で生まれた、っていうことと無関係ではないとは言えないでしょう。エレクトロニカに何を見出すかってのは、人によって違って構わないと思うけれども。



ごった煮を作りたい




自主制作盤の『Saturday Evening Pop』の頃と、『It's All True』をリリースした今と創作における動機は変わってきましたか。表現したいものが変わったか、というと無粋な質問になりますが。


変わってきたというか、作りたいものがだんだん明確になってきた気はしてます。ひとことでいえば、『It's All True』では混沌を表現したかったんです。


―『It's All True』混沌としてますね。詰め込みすぎって感じもする(笑)。このアルバムから他に何枚も作品が作れそうな気がしますよ。


そうかな(笑)。ごった煮を作りたい。世界をごった煮にする音楽をやりたいんですね。混沌を表現したいというのは、そういうことで、混乱と混沌は違う。いろんな食材が同じ鍋の中で、同じ味付けで共存している感じでしょうか。


―『Saturday Evening Pop』と『It's All True』の間にはバンドへのドラムスの加入がありましたね。


ドラムスの加入でバンドの音量調節が難しくなって、貸しスタジオにも入るようになりました。それとプレイヤビリティのめばえは同期しているかもしれない。肉体的なもの、具体的には、演奏スキルやエモーションと、コンセプト両方が大切なものなんだ、ということがわかってきました。


―この時期から紘良さんも歌うようになりましたね。


3年位前から歌を特別視せず、楽器と同じサウンドの一部として捉えることが出来るようになったというのは大きいですね。自分にとっても、世界的な音楽の流れにおいてもそういった変化があったんですね。


―SEPからはマンドリン奏者の石井さんが脱退しましたが、どう感じてらっしゃいますか。わたしはマンドリンがリード楽器というのがユニークでとっても好きだったんだけれども。


最近、スチールギター奏者が加入したので、また違った良さを模索して頑張ってますけども、彼のメロディがしっかり聞こえるんですね。僕たちはそう頻繁にライブをやっているわけじゃないけど、初めて聞くお客を考えるようになってきて、やっぱり伝わりやすさとしてのメロディの重要性を再認識しましたよ。


―なるほど。バンド運営にずいぶん意識的になってきてますね。


そうかなあ。うーん、それはあるかもしれない。バンド全体が吐く息吹については、いつも考えてますね。サタデーは、メンバーがみな好きな音楽が違う。フォーク、ロックが好きな人も、ボサノバが好きな人も、現代音楽好きな人もいる。そういうひとたちを集めて、音楽を作るんだからね、周りに流されない為にもコンセプトは重要。


―もう解散しちゃおうか、と思ったことはありますか。


そりゃありますよ。でも、意見が合わなくて解散するってのはなんかちょっとダサい気がして、長く長く続けていきたい。ムーンライダーズ*5より長く続くバンドになるのが目標です。ソロ活動もするようになって、サタデーを客観的に観ることができるようになったところはあるのかな。バンドリーダーとしての自覚が芽生えたのは、ソロ活動のお陰かもしれない。


―次のアルバムの制作についてはもうアイデアがあるんですか


実は、すでにアルバム1枚分の音源ができてるんです。12曲あります。リリースについては、今後どうしようかな、と考えているところです。




古楽インタープリタ




―最近、おもしろく感じる音楽はありますか。よく聞く音楽は?


最近はヨーロッパのトラッドや古楽を聞いてます。古くない、新しくもない、じぶんの中のスタンダードになりうる音楽という感じがします。


―12音平均律*6以前の音楽ですね。


ですね。ただ、古楽そのものをやりたい訳じゃなくて、古楽を再解釈していきたい。古楽プロパーでもない僕からの民俗学的視点で聞いていきたいと思ってます。古楽インタープリターとか言えるかもしれません。それを自分の作る音楽に上手く落とし込んでいければいいな、と。


―なるほど。ではおすすめの音源を幾つか教えてもらえますか。


古楽を体系立てて聞ける『music of the middle ages』という4枚組の古楽コンピ、日本が誇るカテリーナ古楽合奏団『ドゥクチア』、変化球ですがとっつきやすい古楽としてAtrium musicae de Madrid『terentule』、聴くと必ず影響を受けてしまう、音楽家としては怖い武満徹『夢の引用』、Joanna Newsom『Ys』『The Ys street band E.P.』は、本当に大好きです。

古楽ということで、思い出したのは、ダンスリーと坂本龍一が一緒にやった『ジ・エンド・オブ・エイジア』。これは昔良く聴いていましたよ。『戦場のメリークリスマス』よりも先に知ったので小学生の頃は坂本龍一古楽の人だと思ってました。


―それでは最後になりますが、ソロ活動について。


あれこれやりたいんです。自分の性根がそういうものだから。そのひとつにソロ活動もあって、今、何名かのアーティストに手伝ってもらいながら音源を制作中です。


―今後のご活躍を期待しています。どうもありがとうございました。


どうも、ありがとうございました。

                                   

(4月15日・新宿DUGにて収録)



脚注

*1:小説家・乙一が本名の安達寛高名義で監督。6月2日より渋谷ユーロスペースで公開予定

*2:アップルジャパン株式会社が発売している音楽編集ソフト

*3:ドイツのWechsel Garland、英国のFour Tetスウェーデンのtapeなどがこのジャンルで語られるが、明確な定義はされていない。1990年代後半にエレクトロニカサブジャンルとして生まれた生楽器と電子楽器を使用するポップスと雑駁な定義ができるかもしれない。

*4:1948年、英国生まれ。ロキシー・ミュージックに参加。1970年代前半に自身が設立したオブスキュア・レーベルの作品やソロ『Ambient 1: Music for Airports』(1978年)などを通してアンビエント・ミュージック(Ambient Music)を提唱し、ポピュラー音楽の潮流に多きな影響を与えた。

*5:1976年から活動している日本のロックバンド。

*6:1オクターブを12等分した音律を言う。『平均律クラヴィーア曲集』という作品のあるJ.S.バッハが12音平均律を用いていたか否かには議論がある。