ジャック・フェデー監督 / 外人部隊(原題:LE GRAND JEU)

外人部隊 [DVD]


1933年(昭和8年)のフランス映画。批評家の大谷能生さんが「今から、100年位前の作品であれば、わたしはぜんぜん当時の人々の目線になれるし、時代をワープして、その時の最新作として捉えるようにせねばならん」というようなことを仰っていたので、1933年の公開当時を生きていた気持ちになってみた。なにごとにおいても素朴なレトロ趣味からの脱却を試みること。これはある程度必要だと思う。自戒の意味をこめてそう言おう。また、懐古趣味の気持ちと、懐古されるその時代に(想像のうちで)戻ってみるのを両方やるのは面白いことに違いない。


外人部隊』公開の年、1933年はどんな年だったか。前の年(1932年)に血盟団事件が起きていて、この年元旦に万里の長城東端で日支両軍の軍事衝突が起きている(1931年に柳条湖事件が起きていて、大陸に日本軍が進出している時代)。ドイツではこの年の内に、ヒトラー政権が樹立して、総統が国の全権を握る。ちなみにいまブームの小林『蟹工船』多喜二が特高警察に殺されるのもこの年の2月。1933年、よく見ると大変な年で、3月には三陸地震で死者が3000人出ている。当時の日本人口は6000万人程度(http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/monthly/pdf/0506_9.pdf)だから、これはかなり大きい災害だ。ウィキペディア日本語版の年表(http://ja.wikipedia.org/wiki/1933年)を参照すると、多喜二をはじめ作家や大学教授らリベラル派インテリに対する思想的弾圧事件もたびたび起こっているようだ(この年表に思想的偏りがありそうなことを勘定にいれても)。こういう時代に、庶民のひとりとしてのわたしはどう思うか。


学がない庶民で映画を観るくらいの余裕がある・・・ほんとはここで、物価の変遷とか併せて考えたほうがいいんだけどそれ徹底してやると研究になる・・・まあ、会社づとめであったわたし・・・ってことにしておこう。えー、1933年に今と同い年とすると、わたしは1905年(明治38年)生まれですな。うーむ。端折っていくと、当時の世間の雰囲気というと「大陸進出」ですね。1929年に世界大恐慌が起こっている。んで、景気は最悪。となると、1905年生まれのわたしが大陸進出に素朴なエキゾチシズムを感じていたかどうかは微妙なところ。夢想くらいはしたかもしれないが。活動写真を観る余裕はあるが現実から遊離しがちなウツボ青年(1905年生まれ)は、大陸に行く度胸もなくうだつもあがらず、天気の良い休日すら雨戸を閉めラムプの灯りで乱歩に耽溺する日々を送っており、フランス(第三共和制)についても外人部隊についても、あんまり良く知らない。しかし、偶然、この『外人部隊』を観るのである。喪男(もだん・本田透読み)が主人公のこの映画のあまりにも救いのない結末には共感を覚えるかもしれない。あーどうしてもある程度恵まれたじぶんというのを思い描いてしまう・・・貧民だったら映画も観られないだろうし。想像力の限界ですな。


冷静に見ると『外人部隊』のプロットは財産家の放蕩息子が女性不信で死地=戦場に赴くという、どうしようもない非モテ映画であり(じつは戦友との別れもあるので、総合的に見れば「人間不信」がテーマ)、「勝手に死にやがれ」としか言いようもなさそうなものだが、コメディー・フランセーズ座附き、マリー・ベルの素晴らしい一人二役(主人公を玩ぶ女=放蕩女のフランソワーズと純情だが学のない不幸な女=入間・・・じゃなかったイルマ)は見所だし、フランソワーズ・ロゼー演じるブランシュ夫人の気だるさ(都市生活者の虚無感・・・どこにも行けないが、さりとて死ぬわけにもいかず、客をもてなす酒場の女主人)には現代性があっていいな、と2008年のわたしは思う。しかし1905年生まれのウツボ青年にとっては、いささかスノッブな夢想的なシャシンに思えたかもしれない。で、それよりも、食だし職だしって時代だったんではないかと思うのも、2008年のわたしだからではないか。当時の庶民の「まずしさ」についての耐性がいかほどのものばかりだったかとんと見当がつかないが、こうやって『外人部隊』という作品を軸にしてぐるぐる考えて回るのも面白い。