デイヴィッド・トゥープ『音の海―エーテルトーク、アンビエント・サウンド、イマジナリー・ワールド』(佐々木直子訳、2008年、水声社)を読む



すぐれた音楽随筆集であるトゥープ『音の海』を散漫に読み散らかす試み。specaial thanx to 虹釜太郎(id:toxicdragon)氏。


#0 まえがきから

クロード・ドビュッシーが1889年のパリ万国博覧会でジャワ音楽に初めて接した日は、とりわけ象徴的である。その時点から―私の見地ではこれこそが音楽における20世紀の始まりである―、コミュニケーションと文化的対峙を加速させることが音楽表現の焦点となった

そうなのかな?インテリにとってはそうかもしれないけど・・・。


#1 BGMをめぐって

ある意味、トマス・ピンチョンJ・G・バラードフィリップ・K・ディックは、ブライアン・イーノを予見していた―ピンチョンはアンビエントな娯楽としての電子音のイメージによって、バラードはヴァーミリオン・サンズの雲の彫刻家と音響の像を売る男によって、ディックは彼の夢想した電気楽器によって。そしてすべてのSF作家がそうであるように、彼らの考察の核心にあるのは、今日の現実世界における日常風景だ。いまやBGMはあらゆる場所に流れ、そのほとんどが、訪れる人々の属性や階級の好みに合わせて注意深く選曲されている。1955-1965年のジャズがかかるハイテク・レストラン。いわゆる「ルーツ・ミュージック」または「ワールド・ミュージック」を流すポスターを貼りめぐらせたウッディなバー・70年代ポップスをかけるパブ。ボリウッド映画音楽をかけるインド料理店。より高級なインド料理店になるとエンヤ、シャーデーケニー・G、ジ・オーブさえも流れている。1987年以前のスタンダードや1001ストリングス・ミューザックをかける家族向けのテーマパーク・カフェ等々。ケーブルテレビが視界の隅でちらついている。水族館でエイのすべるような泳ぎとターンに合わせて、ニューエイジ音楽の和やかなアルペッジョが果てしなく繰り返される。カーステレオからは大爆音のジャングルのサブベースとベースドラムが、半径50ヤードの空気を押しのけていく。ワールド・ワイド・ウェブの大気圏では、誰かと会話できるのを期待しながらダウンロードを待つ音楽が漂っている。
(pp.28-29)

BGMは本当に注意深く選曲されているだろうか?暗めの照明のラーメン屋のカウンターで、ジョン・コルトレーンを聴きながら啜るラーメンは非常に奇妙な味がする。そして空腹に負けて安易にこのラーメン屋に入ってしまったことをひどく後悔する。しかしもはや後の祭りだ。食券は当の昔に回収されてしまったし、わたしは「至上の愛」を聴きながら永遠にシナチクをかじり続けるしかないのだ。誤り続けるのが人生なのだ。そもそも生まれてきたことが誤りであった、というような自罰的な感覚と自我の不安定さにアンビエント音楽は彩られていないだろうか。すくなくともその音楽を愛聴するひとびとにその傾向があるのではないか。


 #2 黒いSF

 <アシッド・トラックス>の基本構成は、小は大なりという法則そのものだ―「ローランドTB-303ベースライン」のフリーケンシーとフィルターで上下にスウィープするパターン、「ローランドTR-909ドラムマシン」のベースドラム/ハイハット/クラップ/タムが奏でる乾いたドンドンドンドンという生粋ディスコ・ビート、「ローランドTR-727」のカウベルとホイッスル、そして背景で疾走する何か特定できないシンセサイザー。シンプルだが、殊にドラッグが伴ったら強烈である。それは物語性を欠いた、機能としての音楽であり、テクニカル・プロセスの音楽だった。ジェファーソンは、そのシカゴでの酔っ払った夜にDJピエール、スパンキー、ハーバートJと一緒に作り上げた曲を後で後悔することになったかもしれない。思考を妨害するものだったからだ。だが<アシッド・トラックス>は強烈な心理作用のある、黒いSFだった。(p.62)

世界の趨勢のみならず、考え方の様式までを変えるような全的な変革が存在する(ラ・ロシュフーコー)というテーゼがあるが、これを聴いて「黒いSF」をどのように定義しうるか?黒いSFはユートピアを語るのか、それともディストピアを語るのか。いずれにせよ、現実よりはマシだろう、このクソったれファッキンジャップな現実よりはマシだろう、1,2,some shit ! おとといきやがれマザファッカーのサノバビッチ、というような元気の無い連中が21世紀のいま、SFを愛読しているのではなかろうか。しかしでは「黒いSF」とはなんだ?考えてみよう。


 #3 クルーニング唱法と至福について

浮遊していて、形のない、海のようなクルーニング(または意味のあるクルーニング)〔クルーニングとは囁くように優しく歌う唱法で、マイクの登場により生まれた。代表的なクルーナーはビング・クロスビー〕は一見したところ、現在多くの人々が人生・世界・未来に対し抱える、漠然とした不安感を反映しているように思えるが、実際は至福感を表している。至福というのもまた曖昧模糊としており、ストレス発散から精神的高揚まで、幅広い範囲を含んでいる。それゆえ不安がつきまとい、現実逃避や発散行為でバランスをとることになる。(p.126)

特筆すべきは、ここでトゥープは至福という静的な概念を、動的な概念として捉えなおしていることだ。至福に幅を持たせている。このことはあらゆる静的と捉えられがちな諸概念を捉えなおす上で、非常に重要な考え方である。むろん音楽に限らない。


#4 音に憑かれたプロデューサーたち

ジョー・ミークは狂ってはいなかった。戦後イギリスの抑圧された風潮の中で自分が同性愛者であることを必至(ママ)に隠し、代わりに初期英国ロックの文脈に精神的吐(マ)け口(マ)を求め(スピリチュアリストだった彼は、安っぽいインストゥルメンタルの上に天使の声を乗せた)、散弾銃で女家人を撃ち殺し、自殺した。禁じられた欲望のしわ寄せで、理性的な抑制がきかなくなったのだった。”音の壁”の発明者フィル・スペクターは、楽器のテクスチャーとエコーを何層にも重ね、吐き気がするほど甘くして、その奥行きは聴く者を名状しがたい奇観の地下洞窟へと引き入れた。彼はロスに隠遁し、アッシャー家のロデリック・アッシャー〔エドガー・アラン・ポー著『アッシャー家の崩壊』の主人公〕のように孤独で過激になり、ミキシング台に銃を置いてプロデュース作業をするありさまだった。ブライアン・ウィルソンもそれに近い状態で、ビーチボーイズで疲れ果て、ドラッグでボロボロになり、グロテスクなまでに太り、二年間ベッドに横たわっていた。そしてリー・ペリーは、ジャマイカキングストンのワシントンガーデンにある自分のブラックアーク・スタジオを破壊した。彼は長年レゲエのヒット曲を生み出してきたそのスタジオを水浸しにして、終いには焼き払ったのだった。これらの出来事は果たして偶然だろうか?記録の場として発祥したスタジオというものを、奇跡のヴァーチャルな場へと変える苦闘は、最も創造的なプロデューサーたちを、自己確立を通り越して虚無感に追い込んでしまったのか。混乱した人格を支配して苦しめる声と、白日夢の空想を浸食するどこからともなくやってくるまだ存在しない音とが細い線でつながっていて、音の探究者は実体ある世界で、それを再現する手段を見つけたいという誘惑にかられるのだ。(pp.154-155)

自己が確立している者は、基本的に情緒が安定的であり、自我の揺らぎが少ないであろう。だとすれば、音楽をプロデュース(制作)する動機付けも、低くなるような気がするがどうだろうか。己の中の混沌にある一定の秩序を与えるために、音楽家は音を集め整えるのではないか。だとしたらその虚無感は自己の確立ができていないから導き出されるものではなかろうか。自己確立を果たしている/果たしていないことと音楽的に創造的であることに相関性はあるのか。この一文はとても大きな問いを示唆している。


#5 アンビエントの誕生

その後ブライアンは、ハロウ通りを横断中にタクシーにはねられ重症を負った。闘病中、私がマイダヴェイルにある彼のアパートを訪ねると、見舞いに来たジュディ・ナイロンが18世紀のハープ音楽のレコードを置いていったのだとブライアンは言った。貰ったそのアルバムをプレーヤーにのせ針を落として、ベッドに戻ったが、すぐにボリュームが小さいと気づいた。ステレオ・チャンネルの一つが壊れていたせいもあったのだが、動けないのでそのままで聴いていた。すると、あたらしい傾聴の形態が開けた。周囲から突出するのではなく、海上の船のように、光・影・色・香・味・音のはかない効果とともに、音楽がその海の一部になった。そのようにして、少なくとも現在の定義におけるアンビエントが生まれた。聴くけれども聴かない音楽であり、われわれに静寂をより聞こえるようにする音響であり、われわれを集中すること・分析すること・組み立てること・類別すること・孤立することへの強い衝動から休ませてくれる音である。(pp.190-191)

あまりにも有名な(ブライアン・イーノにより)アンビエントミュージックが概念化された時の話である。エピソードというには知られすぎている。海上の船=音楽であれば、海=周囲(環境)ということなのであろうか。


#6 クラフトワークと日常生活

ヒップホップ界でのクラフトワーク人気に対するラルフ・ヒュッターの意見からは、機械時代の思考のもう一面が垣間見える。それは、芸術は人間をいまより高め機能主義を超えるべきだとする一般的意見とは逆の発想である。「僕は音楽学者ではないけれど、黒人音楽は社会的な環境の要素が強い。生活と深く結びついてる。家事をするのに向いてる」と言って彼はテーブルをごしごし拭くふりをする。そしてクラフトワークの音楽もこうした仕事に適していると言う。「僕らがバンドを始めた頃、コンピュータは理工系の大学や宇宙開発みたいなアカデミックな現場でしか使われていなかった。クラフトワークはいつも日常生活から要素を取り入れた。<<アウトバーン>>のジャケットに写ってるのも僕のグレーのフォルクスワーゲンだし、音も200キロとか1000キロのアウトバーンのノイズだし」。(略)「僕らにしてみれば、ドイツ語で言うところのインテレクトゥエル・ユーバーバウだった―英語ではインテレクチュアル・ビルディング、つまりあまりに巨大でカフカ的という意味。僕らはそういうのには囚われなかった。戦後世代で鉄道模型セットとか電子工作キットで育ったから。すぐ子供っぽいアプローチになってしまうんだな」。(pp.272-273)

日常生活から音楽になにかしらの要素を取り込むことで音楽はユーモラスになる。ユーモラスということは元来、人間的ということである。ということは生活というのは人間的なことがらなのであろうか。そうであろう。


#7 エコー、嘘つかない

空洞反響は古くから活用されており、他のどの音響上の試みとも同じくらい長い歴史がある。(略)反響はまた、神聖なるものをも呼び起こす。仏教の声明やグレゴリオ聖歌のレコードは、寺院・聖堂・山中など実際に歌われる場所で録音される。儀式を採録した民族学のフィールド・レコーディングの中には。ポストプロダクションでリバーブを加えて神秘性を増したものもある。(略)だが、エコーが合成されたものであれ、自然のものであれ(たとえばジャマイカのダブ、早朝の静けさをゆるがす北アフリカの山と積まれたスピーカーから炸裂する夜明けの祈りプレスリーが唄う<ハートブレイクホテル>、宮殿の高い天井の下で録音されたジャワのガムラン)、現実の場所なのかヴァーチャルな幻想空間なのかは、その力強さを聞けばすぐに判るものである。(pp320-321)

エコーは難しい。エコーは嘘つかない。だからエコーをどうやって処理するかで、その作曲家の音楽性がわかってしまうのである。ほらたとえばダニエル・ラノワの作品なんてのはとても特長的である。


#8 音楽に影響づけられるな by デヴィシル

1988年、デイヴィッド・シルヴィアンの「シャーマンへの称賛」というタイトルの世界ツアーのための原稿依頼を受けた私は、彼と話す機会を持った。シルヴィアンは、彼の音楽のオープンさの根底にある方法論を示唆する発言を何度もした。暗闇で釣りをするのもその一つだった。「僕が持ってる細大の資質のひとつは、さまざまな気配を創り出す能力だと思う。音楽というのは、聴き手が自らと向き合い自分を見つめることができるようなものであるべきだと思う。自分の想像力は音楽に縛られずに自由でありたい。音楽に影響づけられることのないように努めている。」(p.362)

影響づけられるというのは日本語としておかしいだろう・・・。原文にあたりたいところである・・・。


#9 おわりに(appendix)

2000年にトゥープは、キュレーターとしてロンドンのヘイワード・ギャラリーで「ソニックブーム」と題した大規模なサウンドアート展を手がけた。さらにこの年には三度も来日している。一月、前述のICCサウンドアート展にマックス・イーストレーと「肌の刻印を夢見て」というインスタレーションで参加。六月、ブリティッシュ・カウンシルの招聘で、『エキゾティカ』の中でページを割いた細野晴臣とのトークイベントに出演。十一月、アーティスト崔在銀の映像作品『オン・ザ・ウェイ』の英語ナレーションを担当するために再来日。四冊目の著作『ホーンテッド・ウェザー―音楽・静寂・記憶』(2004年刊)は、この年に日本で出会ったサウンドアーティストたちから多くの刺激を得て執筆したという。



当時、19歳だったわたしは、このトークイベントを見に、青山スパイラルカフェを訪ねた。その時のレポートが未だにウェブ上にあるのでよろしければご笑覧願いたい。このイベントじたい、朝日新聞社からトゥープ『Exotica』が細野さん監訳でリリースされることを記念して開催されたのだけど、その後、出版計画が頓挫したようで、『Exotica』はいまだに邦訳されていない。