妄想と創作



I 菊地さんの『南米のエリザベス・テイラー』を聴かせて頂きまして、この中に凄く好きな曲もありまして、ええとルペ・ベレスの...。


K 「ルペ・ベレスの葬儀」ですね。


I この人(ルペ・ベレス)も、いっとき大変人気のある女優で、晩年すごく不幸な死に方をしたひとですけれども。


K そうですね。


I 『南米のエリザベス・テイラー』というタイトルはどうやってお付けになったんですか。


K ええと、これはね、50年代、アメリカの映画会社がエリザベス・テイラーという、この美貌の女優を世界に売り出そうとしていたときに、世界中に「どこどこのエリザベス・テイラー」と呼ばれる女優があったであろうという。だから北京のエリザベス・テイラー、日本のエリザベス・テイラー、アフリカのエリザベス・テイラーと呼ばれる女優がいたであろうという、妄想なんですね。


ぼくは今回アルゼンチンに取材に行くことが決まって、地球儀を3つ買ったんですよね。で、そのうちのひとつはスポンジで出来ていて、針をこう、ブスッと突き刺すことが出来るタイプのものなんですけど、そのブスブス突き刺すのがおもしろくていろいろ遊んでいました。で、日本の地球の反対側にはブラジルがある、ってよく言うでしょう?でも、実際は違います。東京からブスッと刺して突き抜けると、アルゼンチン海盆に出るんですね。海の中です。で、ニアピンの都市ということでは、ブエノスアイレスがあると。


ちなみに北京からブスッとやるとブエノスアイレスに出ます。ウォン・カーワァイ(王家衛)という監督が『ブエノスアイレス』という映画を撮っていますけど、もしかすると「北京から地球上でもっとも遠い場所」がブエノスアイレスということで、インスピレーションを受けたのかもしれないですね。これは、もちろん、ぼくの想像ですけど(笑)。で、アメリカ大陸、ワシントンもニューヨークもシカゴもその裏には何もないですね。ためしにモスクワからも刺してみたんだけど、海に出ます。つまり、地球上でもっとも遠い場所が海であると、もっとも遠い場所を持たない二つの国による対立が「冷戦」ではなかったのかと(笑)。これはまあ、地政学的妄想とでもいうものですけれどね。


I いま、「妄想」ということばがでましたけど、菊地さんが創作においての妄想についてどう考えていらっしゃるか、というところをお訊きしたいんですけれども。


K 伊藤先生は、70年代、ニューヨークのジャズクラブによくいらっしゃったということを、先ほどお伺いしたんですけれども、そのあと80年代のニューヨークで、マーク・リボーに代表されるような「フェイク・ラテン」というのがはやりました。スノビッシュなファッションとしてニューヨークで持て囃されたわけですね。フェイク、というとき、ジャズでも、ロックでもなくて、なぜか「ラテン」なんですね。


ぼくにとってエキゾティシズムを支えているものというのは、幼児期の記憶ですね。ぼくは1963年の生まれなんですけど、7歳までは60年代だったわけです。家は場末の港町で水商売をやってまして、小さいころに、向かいにあるストリップ小屋のストリッパーにお昼を届けたりしていた。そういう歓楽街の記憶がとてもエキゾティックなわけですね。それは一時期嫌なものでもあったわけだけれど、今となってはとってもエキゾティック。遠い「他者」なんですね。5歳くらいの子供が出前に行く距離感、それがすごく遠い。


この間、「情熱大陸」というテレビ番組の取材で、本当に久しぶりに生まれ故郷の銚子に行ってきたんですけれど、当時あった歓楽街はすでに完全に失われていました。そうすると、自分の中にあるイメージを妄想化していくしかないんですね。幼少期の記憶としての「銚子」と、ポストコロニアリズム的視点から見ている「ブエノスアイレス」。この二者が交錯したところに、ぼくのエキゾティシズム、物を作るときの妄想がありますね。

(第3回につづく)