宮田登 / 怖さはどこからくるのか (ちくまプリマーブックス (55)) (ちくまプリマーブックス)



 民俗学入門のような内容かな、と手に取ってみたら、最初の部分で、柳田國男折口信夫に触れてはいるものの、著者の研究対象についての記述が半分くらいを占めていた。
 「都市の心性」という文句が定義されることなく、何度も何度も出てくるので、学者の割にはずいぶんとあいまいなことばを遣うのだな、と思ったけれども、あとがきで「都市の心性の何たるかは定義し切れていないが、そういったことばを用いなければあらわせないものがあった」というような補足をしており、そういうものかもしれないな、と思った。
 この本を読んでも感じたが、最近強く思うのは民俗学社会学文化人類学というような学問の「心性」は、じつに文学的である、ということ。しかし、またわたしが受容しうる言説が「文学的」なものに限られているのかもしれないと思わないでもないので、それこそ「文学的」ということばの意味あいを、具に述べて、さだめると良いのかもしれないが、大学で卒業論文を書いたときにそんなことを試みてうまくいかなかったような気がするのでやめた。書いてみてそれを誰が読むのだろう、という気持ちと、誰かに読んでほしい、という気持ちが、何かを記すときいつも心にあるのだ。久しぶりに、本の感想から大幅に脱線して書いてしまったが、たまにはそれも良いだろう。
 なぜ本を読むのか。無聊を託ち、己を慰め、異界へ飛び立たせるためである。それだけではないが。などといろいろと余計なことを口走りそうなので、このへんで。ストレスたまってるのかしらん。