渋谷知美『日本の童貞』読了



男のセクシュアリティに対するユニークな視点が新鮮だった。
「処女」について語る本はわりと多そうだが、この本は「童貞」だ。


筆者は近代以降の日本における「童貞」にかんする言説の変遷を社会学的なアプローチで検証する。
「童貞」という語の定義の変遷も興味深い。語としての「童貞」が生まれたとき、
それはまずカトリックの尼をさし、また男女問わずに「肉体の貞潔」を意味した。


とくに1920年代のインテリ層の間では、わりに「童貞」に対する言説が飛び交ったそうだ。
時代背景やその正誤の判断はともかく、平塚らいてう与謝野晶子らによる「花柳病男子
拒婚同盟」にまつわる論争に関するエピソード(第三章 貞操の男女平等の暗面)が熱くていい。
自由恋愛に過剰な夢を抱いたロマンチストたちの物語としても読み応えがあるだろう。


巻末で、渋谷は必ずしもセックスできたこと(童貞喪失)がモテにつながるわけではないし(その通り・笑)
童貞は、既存の童貞=悪(ダメ)言説から自由になれ、と提案する。
方法としては「セックス」を特権化をせず、また、「非童貞」を特権化しない方法がある。
要は、性にまつわるあれこれの優先順位が自分の中で低いと信じられればいいんじゃないということ。
あるいは徹底的に、女に媚びれば(努力と忍耐が必要だ・笑)童貞のひとつやふたつ喪失できるだろうともいう(笑)。
とにかく、社会における性から特権性を剥ぎとって、性を「私」に返してやれというのが彼女の主張だ。
彼女の提案は決して人口に膾炙しないだろう。
でも、社会的な性の支配から逃れたいと思っている人間にはヒントを与える一冊になるかもしれない。


蛇足。渋谷はみうらじゅん伊集院光の共著『D.T.』をかなり誉めている。思っていたとおり、
彼らの主張していたのはセックスできるできない(したしない)ではなくて、精神の「童貞」だった。
「童貞」に興味があるひとも楽しく読めるし、構成もなかなか良い本(修士論文を土台にしているらしい)なのでよろしければぜひ。